自己肯定感とかいろいろ
最近ぼんやりと考えていたことが色々繋がってきたのでつらつら書いてみる。
「キャリア観がない」のは悪いのか?
あまりそのことをブログやTwitterで押し出しているわけではないですが、僕は労働組合の役員をやっているので、会社の人事制度なんかについて考えることが多かったりします。
ブラック企業が世の中からなくなったわけではないにせよ、ありがたいことにうちの会社ではずいぶん定量的な、制度で一括りにできるような問題は概ね解消されてきているので、マズローの欲求でいうところの生理的・安全の欲求から社会的欲求とか承認欲求のところに課題意識が向かいつつあります。
そんな中で、最近特徴的な話題の一つに「キャリアに対して漠然とした不安がある」というものがあります。
どういうことかというと、何もわからない新入社員として入ってきた頃はとにかく勉強でよかったものの、ある程度スキルも身について、自分の意思や裁量で働けるようになったとき、また30歳くらいで転職の波を感じたり、結婚や出産で自分の人生の遠くまで眺めようとする時期で特にこういった不安に駆られる人が多いようです。
キャリアは描けるべきなのか?
こうした意見があったとき、「だからみんながキャリアを描けるようにすべきなのだ」ってなるのがとても教科書的な反応です。会社の研修でもそういうメッセージングされますし、キャリアプランがあることが善なるものとして刷り込まれているためです。
こうしたキャリアプランに対する強迫観念はここでいう「何者かになりたい人々」に通じるものがあるなぁと漠然と考えていました。
大体この手のはっきりしない話を取り扱う場合には、仮説を立ててそれをアンケートによって実証するというようなアプローチを取ります。
一般にアンケートはフリーコメントでアイデアを募るような印象があると思いますが、仕事としてやっているアンケートの作り手がじっくり考えて出なかったアイデアを、ふとアンケートを求められた受け手がスッと出してくれるというのは結構稀なので、こういうアプローチになります。
まずこの問題に対して取ったのは、「将来への不安があるか」という感覚と、「キャリアプランがあるか」という感覚の相関です。
詳しい内容は割愛しますが、結果としては概ね、
というようなものでした。そりゃそうだ。
確かに、キャリアプランがあると答えた人のほうが、将来への不安の程度は低いように見受けられました。しかし、特異で片付けられないほどの人が「キャリアプランないけど不安もない」と答えているため、「別になくてもいいんじゃ?」という考えも生まれてきます。
キャリアプランがないけど不安が少ない人とは?
というわけで、何人かの「キャリアプランがないけど不安が少ない人」とコンタクトを取り、インタビュー的な感じで、キャリアとか、不安とかについて色々話してみることにしました。
そうすると、結局のところ、不安の形成に大きく影響しているのは
- 自分で認められる、何か過去に成功した体験
- あるいは、何か失敗したとしても、それをなんとか克服していける予感
- 自分の能力が何かの役に立てるという実感
- 日々の生活に選択肢があり、それを自ら選び取っている感覚
このあたりの有無だということがわかってきました。
こういう検討を進める中で薄々は感じていましたが、「これって自己肯定感だよなぁ...」という思いが強くなっていきます。
自己肯定感の正体とは
というわけで次はキャリア不安の話から少し切り口を変え、「自己肯定感の欠如」という観点で考えを深めていくことにします。
選択の科学
自己肯定感のことを考えるに、ずっと頭にあったのが選択の科学という本の内容です。
なかなか分厚い本なので読むには気合いがいりますが、この本の主題は「選択という行為、あるいは実感の意味と、それが人に与える効能」みたいなもので、それを解き明かす営みを総称して、選択の科学というタイトルがついています。
いくつか気になったエピソードとしては、
- 動物実験において電気刺激に抵抗の余地(スイッチを押せれば止まる)を与えると、抵抗の余地がない場合よりもより高い耐性を持つ
- 厳しい戒律を持つ宗教の信者は、そうでない人よりも将来への楽観的幸福度が高い傾向がある
みたいなものがありました。
前者はとてもわかりやすく無力感を表現していて、抵抗の余地がないとわかると動物は弱くなるというものです。自分がどう考えるによらず、何も変えられないとするなら何もやらなくなるとか、そういった感覚なのでしょう。
そう思うと、後者の厳しい戒律も選択の余地を奪っていることから、無力感に繋がるのかと思いきや、こちらは「自ら望んで苦しい中にあるのだから、きっと報われるはずだ」という心の拠り所として機能しているようでした。
結果として、厳しい戒律の中にあって行動の選択肢は少ないのかもしれないですが、「それに従う」と決めた自分の選択の下にあるという点で、無力感を感じないというのは意外な観点でした。
全体として、
- 選択肢が見えているということ
- 自分に選択の余地があると感じられること
がいかに人の感覚に重要な意味を持っているか、ということを感じた1冊でした。
自己肯定感の教科書
そうした選択の科学のイメージがありつつも、改めて自己肯定感という言葉を真っ向から読み解いてみようと思い、いくつか本を読んでみました。その中で一番しっくりきたのがこちら。なんだか見た目はうさんくさい(失礼)ですが、中身はとてもよかったです。
この本の全体的な流れとして、
- [1-2章] 自己肯定感とは?
- [3-4章] 自己肯定感の高め方は?
というシンプルな構成になっています。
その2章の中で、自己肯定感をもう少し分解した捉え方として、
【第2章】自己肯定感はつくれる!――自己肯定感を構成する6つの要素とは?
<第1感>「自尊感情」――しなやかな自分軸を作る
<第2感>「自己受容感」――何度でも立ち上がる強さを身につける
<第3感>「自己効力感」――何度でも挑戦する自分になる
<第4感>「自己信頼感」――セレンディピティを引き寄せる
<第5感>「自己決定感」――自立して自分の人生を切り拓く
<第6感>「自己有用感」――社会の中で自分らしさを発揮する
という6つの側面で説明されています。
この切り口は個人的にとてもしっくりきました。自己肯定感に着目するときの、「キャリアプランがないけど不安が少ない人」の特徴を、これらの言葉できれいに整理できるような気がしたからです。
- (自己効力感)自分で認められる、何か過去に成功した体験
- (自己受容感・自己信頼感)あるいは、何か失敗したとしても、それをなんとか克服していける予感
- (自己有用感)自分の能力が何かの役に立てるという実感
- (自己決定感)日々の生活に選択肢があり、それを自ら選び取っている感覚
という具合です。
この本の内容、分析が正しいとした場合ではありますが、将来への不安があるということはキャリアプランの欠如が理由ではなく、「この先色々あるだろうけどなんとかなるだろう」という楽観意識の欠如が支配的なのではないかと思うようになりました。
そういう意味ではこの3-4章がそのままこれから取るべきアプローチになるのかもしれません。
自分に大事なものを見つける
そんなことを考えながら、なんとなくゲームさんぽを見ていました。ゲームさんぽについてはこちら。内容にもよりますが、全体的にオススメです。
このうち、なんとなく重そうなので見ていなかった精神科医と巡るシリーズを見ていました。
ゲーム的にはホラーというか、不気味な世界観を描いているので内容の好き嫌いはあると思うんですが、オマケ的についていた相談会に興味深いやりとりがありました。
日々、漠然と不満足感が拭えません
それがこのQ1(0:20~)にあたるところで、内容としては「うつ病から回復したものの、それ以前に楽しめていたものがそう感じられず、不満足感に包まれている」という内容です。
それに対して、「うつ病を契機としてむしろ日々漠然と流れていた満足感の正体を見つめ直すようになり、それがかえって不満足を引き起こしている」というような切り口から、次のようなアドバイスが贈られていました。
じゃあ満足って何か?
たくさんのうつ病の人はそれまでは、これだけの量をこなしたら満足だと思ってきた、でもそんなのおかしいでしょ?
だからあなたにとって今日1日、何を達成すれば満足できるのか、それはすごく難しい、哲学的な問なんですよ。
あなたは抽象的な事はもう捉えられているじゃないですか、だから具体的な事。
今日の満足は何か、それができなかったら1週間で何か。
今日1日、この1週間でちゃんと満足できるものって何かということを見つけて欲しい。
ここで言っている、
- 自分の軸で捉える
- 抽象的なことではなく、具体的な事に集中する
ということ、そしてそれを良しとできる心の持ちようはまさに自己肯定感だなと思いました。
自分は、自分の言葉で喋っているか?
次のQ2では「自分が自分の考えを持てているのか、周囲に影響されているだけなのか自信がない」というような話が出てきます。そうしたとき、人の心を診るスペシャリストである精神科医はそのあたり優れているのか、という質問。
それに対しては精神科医だろうがなんだろうが、同じだという答えを返し、その中でこんな話をしていました。
『今自分は自分の言葉で喋っているんだろうか?』
100日か200日くらい気をつけていると、だんだん自分の言葉で喋っているなという実感が出てきます。
大学の授業で試験をするとき、
- A4で1枚以上書いたら落第
- A4半分でいいので、「3回自分で読み返しても面白い」内容にすること
という条件を出したら、みんな悩みだして、面白くないレポートばかりが送られてきた。
それは誰かが言ってることを書いてるから。誰かが言ったことを題材に、自分が考えたことを書いたら面白い。
だから、自分が話すときも、できるだけ自分が興味を持てる内容を話したい。
このあたりのことを聞きながら、なんとなくTwitterでのつぶやきやら、こうしたブログでの発信のことを思い返しました。
ここで書いているような内容は誰に言われるでもなく書いている趣味ですし、だからこそ他人から借りてきた内容を話すようなものでもありません。
でもこうした一種の "トレーニング" を1年以上続けたことで、ここで言うところの自分の言葉で喋っている感覚は間違いなくありますし、こうしたトレーニングを前提とするなら、自分の言葉でないと感じる人がいても不思議ではないと感じました。
とはいえ、発信するにも自己肯定感がいる
じゃあ自分の言葉で喋るために、自分にとって価値あることを見定め、そして自分にとっての価値を自ら発信していけばそれが自己肯定感に結びついていくのだというと厄介な問題があります。
その入口にあたる「自分にとって価値を認めること」「自分にとっての価値を発信すること」のいずれにも、やはり自己肯定感がいるということです。
当然ながら、これは卵が先か鶏が先かという話で、決定的にどちらが先というわけではないということになり、どちらも先であり、どちらも後であるという両輪でしょう。
なので、自己肯定感がなく、一歩踏み出せないとする場合には、それでも一歩踏み出す勇気であったり、その恐怖を肩代わりしてあげるような周囲のサポートが必要になってくるんだろうなとぼんやり思いました。
自己肯定感って大事だ
元々の話は「キャリアプランの欠如」に端を発するものでしたが、色々と考えていくと、結局は自己肯定感の話に行き着くように頭が整理されてきました。
自己肯定感ってその単語だけで聞くとナルシストみたいな偏屈なイメージが生まれなくもないですが、自己肯定感の教科書で見たような6つの要素から丁寧に読み解いていくと、自分の行動をほかの誰でもない自分によって肯定するような、内向きの力の源泉であるように思いました。
自分で生み出し、自分に作用する力だからこそ、扱いを間違えると大きな影響を与えそうではありますが、味方につければこれほど強力なものはないと思いますので、日々の考えであったり、こうしたブログを通じたトレーニングであったりから、自分の自己肯定感を大事にしていきたいと思います。
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SFエンタメ3本立て
昨日はなんとなくSFを堪能したのでその感想でも。
SFの良さをふと感じた
金曜にこのところちまちま読んでた、「三体」というSF小説を読み切りました。
このタイミングで買ったものなので、ダラダラと1ヶ月かけて読んでたことになります。
読みきった感想ですが、いやぁ、たいへんに面白かったです。
小説あるあるではありますが、およそ半分くらいは世界観に慣れるための説明描写みたいなもので、物語の展開などが非常に緩やかだったり、何人かの視点で語られるストーリーの関係性が認識しづらかったりと、微妙な気持ちで読み進めていましたが6割くらい進んだところからは一気に面白さが増し、そこからはあっという間に読み終わりました。
読み始めた頃はあまりSF小説という認識はなかったのですが、読み終えた今考えれば紛うことなきSF小説だとはっきり感じます。
そんなこともあり、自分の中でのSF熱が上がっていて、その流れで2本のSF映画を見たのでその感想です。
- [小説] 三体
- [映画] トゥモロー・ウォー
- [映画] オブリビオン
がっつりネタバレしたい意図はないですが、面白かった感想を述べるにはそうせざるを得ない部分が多分にありますので、ネタバレが気になる方は以降ご遠慮ください🙇♂️
[小説] 三体
それではまず小説の三体からです。
三体は中国のSF小説で、2006年に中国語で連載されたものがはじまりです。
中国国内での人気はもちろん、2014年に英訳されたことがきっかけになり、今や20ヶ国語以上に翻訳されているそうです。
この物語はこの本以外にも、三体Ⅱ/Ⅲと続編があり、それらを含めて三体Ⅲ部作とまとめられているので、僕はまだその序の口に立っているに過ぎない感じです。
分量的にも三体Ⅰは全体の1/3よりも少ないくらいだそうなので、まだまだ楽しめるようです。
よくわからないはじまり
商品説明にある通りですが、この本のはじまりは中国の文化大革命期の混乱からはじまります。
物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート女性科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。
文化大革命自体は史実の位置付けをほぼそのままに受け入れているようなので、現実の1960-70年代の描写にあたります。
とはいえ、物語の舞台はそこから30年ほど経った現代ですので、どうして冒頭にセンシティブなこの描写を入れているんだろう?と不思議に思いました。
謎のVRゲーム「三体」
そうした奇妙なはじまりを横に置き、主人公(と現時点で思っている男)の視点で物語が展開します。その中で、よくわからないゲームが出てくるのですが、それが小説名と同じ「三体」というゲームです。
「三体」はいわゆるVRゲームで、読んでいくと3個の太陽が存在する世界において、その軌道予測が難しいために興亡を繰り返す文明をシミュレーションするような内容になっています。
この「起動予測が難しい」ということが、いわゆる三体問題を表していることはわかったのですが、これまたなぜ三体問題?という気持ちがありました。
三体問題をモチーフとするゲームはそれはそれで面白そうだなと思ったんですけどね。
謎の組織、世界三体協会
途中でゲーム「三体」の描写が中心的になりますが、その後ゲームをある程度クリアするとそこから「クリアおめでとう!聡明な君をオフ会に招待しちゃうよ!」みたいな話になります。
ここが大体三体Ⅰの6割くらいの位置にあり、ここから急激に、かつ面白く物語が展開してくるところです。
オフ会に行ってみると、そこは世界三体協会とかいう謎の組織の集会になっていて、世界にも支部が複数あるなど、大規模な組織であることがわかります。
確かに、三体ゲームの時点で「こんな高度で商業的に成功しなさそうなゲームを作る人なんているのか?」と思っていたので、そこには説明がついた感じになりました。
三体とは
ここでようやくこの小説の主題となる三体が何だったかが明らかになり、それがαケンタウリに実在する3つの恒星であることがわかります。なるほど。
要するに、三体ゲームで描かれていた三体問題の世界はαケンタウリにおいて実際に起こっていた史実の啓蒙になっていて、世界三体協会はαケンタウリにおける知的生命体と交信できる存在だったという話でした。
さらに、文化大革命の混乱が世界三体協会の中心人物が持つ諦めのような思想に繋がっていることが示され、ちゃんと伏線になっていたことも見えてきます。
色々なことが繋がるスッキリ感
映画なんかでもそうですが、こういったSFではどうしても設定やストーリーに無理が出ることがあります。
もちろんScience FictionでSFなので、現実味がないのは承知の上ですが、物語の導入に必要な前提は少ないほうがよいと思います。
そんな中で、この三体が前提としているものは結構少なく、αケンタウリに知的生命体がいるとか、量子力学の応用で超 "光速" 通信ができるとか、そういった科学的に否定しきれていない部分を巧妙に仮定しています。
そういった前提を置いたとき、「地球外生命体とコンタクトが取れたらどうなるか?」ということを緻密にシミュレーションしているような物語で、一見した非現実感が仮定以外の部分では次々に整合していくスッキリ感が読んでいて爽快でした。
普通の小説ではこうしたスッキリが得られる頃には物語が終わっていて、「あー、もっと読んでいたかったなー」と思うことが多いですが、三体に関してはまだ2部も、それも既に読んだ以上の分量で残っているというから驚きです。
またこれから三体Ⅱを読み進めていきますが、この物語がどうなっていくのか、楽しみです。
[映画] トゥモロー・ウォー
そんな風に、三体でSFだとか、地球外生命体などの興味が高まっていたところに、テレビCMでとあるAmazon Originalの映画を目にしました。
ほうほう。
Amazon Originalは俳優こそピンとこないことが多いですが、作りはしっかりしていて面白いのでこれはちょうどいいと思って見てみることにしました。
過去から未来を助ける
ストーリー的に面白いなと思ったのが、未来から子孫たちがやってきて、過去に向かって助けを求めているところです。こういうのは大抵未来のほうが過去を変えに来る感じなので、この設定はなかなか斬新だなと思いました。
一応話としては、2048年にロシアからはじまったエイリアンの侵略により世界人口が3年で50万人を切る程度になってしまったという設定ですが、なかなか急激な感じですね。
過去にきてるんだからもっと色々できるでしょと思わなくもないものの、このタイムマシンの設定では「その点からピッタリ30年前にしか安定的に行き来できない」ような水準のもので、未来と過去の時間が同じように流れながら行ったり来たりしている設定になっており、これはこれで筋が通っているなと思いました。
とはいえ設定の甘さが目立つ
しかし、直前に堪能してたのが三体だったからというのもありますが、どうしても設定の甘さが気になってしまいました。
圧倒的な繁殖力と、個体としての強さを前提にするとしても、3年で50万人ってどういう侵攻なのかって話は気になりますし、やはりそもそも「過去から未来を助けよう」という世論が形成されることにかなり違和感がありました。
軍からだけでなく民間からの徴兵もして派兵しているので、もっと踏むべき段階があるだろうっていう気持ちと、現実だったら助けにいくことよりも、これから起こる脅威にどう備えるかということのほうが世論的には傾きやすそうな気が...。
この辺の「仮にそういう世界だったら、どういう世界になるか?」というシミュレーションはSF作品でもかなり差が出ますね。
しかしドンパチ系SFとして十分にエンターテイメント
と、そんな感じで微妙な評価を下していますが、全体としては十分にエンターテイメントな作品でした。
最新のSF映画としてエイリアンの質感や動き含めて映像は十分美しく作られていますし、タイムマシンが絡むものの面倒な領域に手を出しておらず、ストーリーの簡潔さは清々しいほどです。
この感じはバトルシップなんかに繋がりますね。エイリアンと超ド級戦艦を戦わせたいだけだったあの映画。
バトルシップも設定の甘さはありましたが、それと同じく細かい点を除けば十分に楽しい映画でした。なんかもう既に続編の話があるようですね。どうするつもりなんや。
[映画] オブリビオン
最後にオブリビオンです。2013年の公開当初から存在は知っていたものの、なんだかんだ今まで見ることなく過ごしました。
トム・クルーズ主演で、割と孤独な感じがする映画。印象的にはインターステラーとかオデッセイみたいな印象を持ってましたね。
割とのほほんとした出だし
基本的な設定としては
- 2077年の荒廃した地球が舞台
- 2017年に宇宙人"スカヴ" の侵略を受け、なんとか勝利したものの地球に住めなくなった
- 大半の地球人は地球を捨て、土星の衛星に移住
- トム・クルーズは海水をエネルギー源とする核融合プラントの警備ミッションにあたっている
という感じ。
警備と言っても、基本的にスカヴには勝っているので先ほどのトゥモロー・ウォーみたいな過激な戦闘はなく、僅かな残党がゲリラ的に警備ドローンを破壊しているような状況です。
警備ミッションについているのはトム・クルーズと、オペレータ役のアンドレア・ライズボローの2人。一応恋人関係なのかな。
という、平和な感じではじまります。
突如現れるモーガン・フリーマン
物語の途中、よくわからん勢力にトム・クルーズが拉致されるんですが、そこのリーダーがモーガン・フリーマンで存在感ありまくりです。良い老け方してますな~。
見た感じ、モーガン・フリーマンは地球に残った生き残りのようで、ドローンから奪って集めたコアなんかを使って、トム・クルーズらを統制している宇宙ステーションを爆破するつもりらしい。なんとまぁ。
この辺から物語が動いてくるんですが、こっちの物語は結構しっくりきました。
なるほどそうきたか的な驚きもあったので、ストーリー面でもなかなか楽しめましたね。
最後は微妙だけど楽しめるクオリティ
この映画、2013年にしては荒廃した地球の描き方など、グラフィックが今見てもきれいなものでした。(HDRではないので光の使い方は一昔前っぽさがありますが)
ストーリーも変なところはさほどなく、満足度高くクライマックスに向かっていきましたが、たしかに他のレビューで指摘されていたように、最後のハッピー(?)エンドの描き方にはもう少しなかったのかなという気持ちにはなりましたね。
とはいえ、それを理由に★1とかするものではないので、★4くらいですかね~。ドンパチ感はそこまでなかったですが、ストーリーのオシャレさなど、なかなか楽しめるところでした。
まとめ
そんな感じで、立て続けにSF、それも地球外生命体との絡みがあるものを楽しんできました。
なんとなく評価をするとこんな感じ。時間を無駄にしたなー、っていう感覚まではないものたちでした。
- ★★★★★ [小説] 三体
- ★★★☆☆ [映画] トゥモロー・ウォー
- ★★★★☆ [映画] オブリビオン
普通にしてるとあまりSFは見ない方なんですが、こうして見てみるとエンターテイメントとしては王道的な面白さがありますね。
ブログを書くようになってから映画からも遠ざかっていたところですが、やはりたまにはこうしたエンターテイメントに触れていくのも悪くないと改めて思いました。
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今週のお題「寿司」
オシュシ🤤
これは楽勝ですね。
オシュシ🤤
今週のお題はオシュシだそうです。これは過去のツイートを漁れば十分でしょう。
オシュシ🤤 pic.twitter.com/iO9oXx57FX
— たくなく@喋る木 (@valuask7) 2021年6月25日
オシュシ🤤 pic.twitter.com/VScWv7mb1P
— たくなく@喋る木 (@valuask7) 2021年7月2日
オシュシ🤤 pic.twitter.com/M58wCxXd0s
— たくなく@喋る木 (@valuask7) 2021年7月3日
いいですねぇ、オシュシは...(ウットリ)
過去のオシュシ
ツイートになってなかったオシュシ画像を探してきました。
いくら好きなのでこんなカットが。
回転寿司チェーンだと思いますがこの醤油差しはどこだっけな。昔のスシローか?
見て分かる通り権太呂すしっていうチェーンですが、左上に少し見えている通りこの20貫で1200円だそうな。お得。
なんだか徳が高そうなオシュシ。
うまそう(小並感)
これは1貫で出てるので多分徳高い。
これは多分すしざんまい。なんだかんだ安定感ある。
オシュシはすばらしい
いろんなオシュシあるけど、なんだかんだオシュシっておいしいよね。これからもオシュシを愛していきたい。
オシュシ🍣🤤🍣
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VR卓球部になった
どうも、飽きずにVRやってるおじさんです。
今日は最近新しくプレイしたVR卓球ゲームの話。
Eleven Table Tennis
早速本題ですが、今回話すゲームはこちら。Eleven Table Tennis。
きっかけはこちらのはてな匿名ダイアリーを見た友人から。ちなみにこの友人のOculus Questは僕が買わせました。持ちつ持たれつ感。
これはほんとスゴイ。
卓球ゲームじゃなくて卓球そのものがVRでできる。
玉をラケットで打つ感触が手に残り現実と変わりない感覚。
オイオイオイ、まさかそんなことあるわけないだろ?
所詮VR空間、現実にはまだまだほど遠いに決まってるじゃないかボーイ。
そう思いながら1990円でポチ。Steamなりのオンライン配信ゲームは恐ろしいですね。値段のお手頃さもあってほんと一瞬で買ってしまう。養分ですわ。
侮れない、こいつは侮れない...
そういうわけでレッツプレイ。やってみました。
確かに最初はゲームの操作性みたいなものに慣れが必要でしたが、やってるうちにこのゲームのすごさがわかってきました。
うん、これはかなり現実に近い。すごい。
さっきの記事にもこうありました。
卓球をしたのは中学の部活以来だが、すんなりと当時の感覚でサーブ、スマッシュ、ツッツキ、ドライブを打つことができた。
いやほんとにこれでした。
僕も中学校は卓球部だったので、リアル卓球の感覚は持っていたんですが、ここに書かれてる通り、実際の卓球感をゲーム内に持ち込んでいくと綺麗に打てる。すごい。
ラバーの性質を好みに変化させることができるので、裏も表も粒高も再現できる。
まだこの感覚が掴めるほどプレイできてないんですが、ここまで再現できてるんですかね...。
でもサクッとプレイするだけでも球の回転とかは確かに演算してるように感じられたし、できていても驚かないというか、そこまでシビアに作っていると信じられるプレイ感でした。
球拾いがないという革命
さらに記事にはこんなことも書いてあります。
何より試合モードでも練習モードでも卓球やってて玉を拾い集める手間が一切ないのが最高。手元のトリガーを引けば自動で玉が出てくる。玉打ち放題。
これほんとそうでしたね。球拾いがないという革命。
実際部活で練習するときは試合するみたいに1球で練習するのはもちろんありますが、それ以上に色々なコースの球を次々打ち返すような多球練習が多くありました。で、球がたくさんあるということはそれを拾う必要もあるということで、たくさん打って、たくさん拾うというのが基本的な練習スタイルでした。
しかし、そうやって球を拾う必要がないわけです。地味に感動。
そうそう、練習モードでは卓球マシンも再現されていて、どんな球種でも無限に発射できる。
これも地味にすごいことで、普通は手が出ない卓球マシンも、VR卓球では1990円のソフトを買うだけで使える!
...と思ったんですが、今の時代割と手が出そうですね。2万円くらい。
しかしそれでもVR卓球の10倍高い。
VR卓球部になれそう
そういう感動をしながら友人とVR卓球に興じてたんですが、やっぱり人とであれば練習みたいな話もあるわけで、中学校時代の記憶を思い出しながら少しばかり友人にレクチャーしてました。
素振りっぽいところから、例の多球練習っぽいところまで。紛うことなき練習です。30過ぎたおじさん2人の。
いやぁ、これはもうVR卓球部ですね。
もちろん、どこまでいってもVR世界のゲームなんで、現実とは違うのはもちろんなんですが、でもほとんどの人にとっては十分すぎるくらい卓球だと思いました。
温泉に置いてあったり、ゲームセンターに置いてあったりすると思いますが、そこで「お、いっちょやってやるか」となるような人には十分楽しめるクオリティだと思います。
プレイの簡単さも地味に評価できる部分で、昨日は22時に声をかけてそこから1.5時間ほどやっていましたが、まぁ現実の卓球だとこうはいかないですよね。
どこかに行って卓球台を借りるところから、シューズを履いてラケットを準備して...一通り遊んでも片付けがありますし、1.5時間プレイするだけでも移動やらなんやら込みで結局3時間以上かかるのではないかと思うレベルです。
そんなことを思うに、多少のリアルさが犠牲になっているとしても、十分に楽しめる出来だと感動した次第でした。
他の感動レポート
はじめに紹介した匿名ダイアリーの他にも、このゲームに感動している人はいくらか見つかりました。
ガチですごいらしい
VRゴーグルを通すと、リモコンもラケットとして表示されているので思ったより違和感がなくて、普通に卓球を楽しむ事ができるんです。
球を打つときも、ラケットに当たった時に微妙に振動が来るので打った感覚が正確に表現されていて臨場感が半端ないです。
そうそう、この「ラケットに当たった時に微妙に振動が来る」ってのは妙にリアルでしたね。
球技とかをやっていると、モーション等はよくできていても、実際の打球感に乏しかったりするのはよくあると思います。
が、卓球では元々球が軽いですし、ラケットもさほど重くなく、VRコントローラと似たような重量感になっています。なので、インパクトの瞬間にVRコントローラのバイブレーションを動かすとかなりリアルな打球感が得られ、臨場感があります。
VRコントローラ自体は現実の卓球ラケットよりやや軽く、かつグリップ感に違いがあるので、こういうアタッチメントで感覚を現実のラケットに近づけたりできるようです。
いいな...買ってみるか...。
リアル卓球も上達するらしい
これは意欲作ですね。
このゲームは打った時の感触や球の軌道など、感覚や動作が非常にリアルで、本当にピンポン球を打ってる感覚に近いんですよね。
そこで僕はこう思いました。
これで練習すれば実際に卓球が上手くなるのでは?????
わかる、その気持ち。それくらいのリアルさ。
あと単純にこの人面白い。仲良くなりたい。
またひとつVRの可能性を知った
今年1月にVRデビューして約半年ですが、Beat Saberを代表例としてVRをなかなか楽しんでいます。
割と体力依存なので時間にすれば大したことないんですが、精一杯遊んでいるという意味でかなり満足度が高いです。ちなみにいくつかの曲は最高難度のEXPERT+でクリアできるようになってきました。
Beat Saberは基本的に自分との戦いなのでストイックなものですが、卓球は対戦相手がいるのでまた違った楽しみがありますね。
Beat Saberの飽きがこないというか、エクササイズとして定着してしまったので新しいゲームを開拓するモチベーションを持てていなかったですが、違うやつもまたいいなと改めて思いました。
お読みいただきありがとうございました!
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財布を1.5日ほど無くしてた話
タイトルのまんまです。財布を一時的になくしてました。
- あれ、お財布がない...。
- 財布なくても大阪行けるんだ...
- あれ、マジでないのでは...
- これはくそめんどくさいでござるぅ~
- 財布、財布じゃないか!
- 財布に潜む大いなる脆弱性
- 実際必要なものは何か?
- おわりに
懺悔をかねて、この心を供養します。
あれ、お財布がない...。
気づいたのは7/1(木)のお昼ごろでした。
この日は仕事で大阪出張に行っており、いつもの土地じゃないことからお昼時に財布を持っていこうとしたときでした。あれ、お財布がない...。
最悪会社の人に借りようということでご飯を食べに言ったところ、キャッシュレス対応だったので特に問題なくお昼を乗り切りました。
こちらがそのときのツイート。こ、困ってないんだからね感。
お昼ごはんのタイミングで財布を持ってきてないことに気づいた出張民。
— たくなく@喋る木 (@valuask7) 2021年7月1日
なお困らない模様。
この時点では、
- カバンに入っていると思った財布がない
- しかし、朝のカバン整理で一時的に出してそのままの可能性あり
- あるいは、土日で小さいカバンに移してそのまま
という認識で、まだ無くしたという決定的な認識は持っていません。
この時点で確実に財布を使った記憶があるのは6/27の日曜日、そう、キャッシュレス非対応の天一に行った時でした。
昨日植え付けられた天一病に誘われてやってきました🤤 pic.twitter.com/rEv5KTCoC5
— たくなく@喋る木 (@valuask7) 2021年6月27日
うまそうですねぇ...😋(そういう文脈ではない)
財布なくても大阪行けるんだ...
無くした意識がないこともあり、この日考えてたことはのほほんとした緊張感皆無なものです。
改めて思ったのは「財布がなくても大阪に行けてしまう」ということです。
電車で数駅のそのへんに行くならまだしも、約500kmも離れた大阪へ財布を持たずに行ったのはこれが初めてでした。
確かにEX-ICで普通に乗れてしまうし、お土産を買うにもSuicaやらiDやらで困りません。そいつらの後ろにはクレジットカードが控えているわけなので、高額決済でなければ手持ち不足になることもないですしね。
ちなみに大阪帰りのテンプレ、551の肉まんはしっかり買って帰りました。あと新大阪駅で不意に見つけた堂島ロール。これはマジでうまい。
大阪出張でゲットした堂島ロールを食す🤤 pic.twitter.com/O0l4eRfNEM
— たくなく@喋る木 (@valuask7) 2021年7月3日
食べたのは大学生以来だから10年以上ぶり...。ゴクリ。
あれ、マジでないのでは...
そんな楽しく愉快な大阪出張から帰った翌日、たいした危機感もなく出勤準備をしながら、財布が行方不明だったことをのんきに思い出しました。
個人的にそれであってほしかった天一に行ったカバンを開けてみると...ない。
あれ、マジでないのでは...😇
しかしここであれこれ探していては会社に遅刻する。とりあえず出社しよう、そういうことにしました。
そうしていつも通りの電車に乗り込んでガタンゴトンしていましたが、心の中で対応を一段深刻に見つめ直しました。
- 思い返せば確実に記憶にあるのは6/30(水)の午後、会社の自席で財布を手にとっていた
- つまり会社用カバンの中にあるはずだった
- そこから7/1(木)のお昼までに行方をくらましたことになる
- その間の行動は「会社からの電車帰宅」「松屋で牛丼」「出張先への新幹線移動」の3つ
- スられた可能性は一応否定できない
ということになります。
スられた可能性が否定できない、これは困りました。仮にスられているとすれば一刻も早くカードの停止手続きなどを行うべき事案です。
これはくそめんどくさいでござるぅ~
そこから危機管理の頭に少し切り替えます。
改めて財布の中に入っていたものを整理すると、
- 現金
- キャッシュカード×2
- クレジットカード×4
- 健康保険証
- 運転免許証
- マイナンバーカード
- その他ポイントカード等
といった感じでした。はい、役満どころかトリプル役満くらいありますね。
この中で最も厄介なのはマイナンバーカードです。今や最強の証明書となり、これひとつあればネット口座の開設なんてチョチョイのチョイです。
(実際には本人限定受取郵便などで住所の検証が行われますが)
とにかく危険だということで、マイナンバーカードの停止と再発行の手続きをググりはじめました。
この記事にいい感じにまとまっていますが、
- マイナンバー側に停止申請する
- 警察に遺失届を出す
- 遺失届をもって役所で再発行手続きを行う(新規発行と同じ手続き)
という流れです。新規発行ということなのでまたあの1ヶ月お預けプレイをしなければならないことに...。Oh...。
身分証明書を再発行するための身分証明書がない
そして問題がもう1つ。
「再発行するための身分証明ができない」
ということです。
列挙したものに健康保険証と運転免許証があることからわかるように、本人確認書類が根こそぎ失われている状態にあります。アホか。
引っ越したりしたときも似た状況になりますが、その時は住民票からはじめたりしますよね。その住民票を発行するための本人確認書類がない...。オワタ...。
パスポート、パスポートじゃないか!
しかしこの問題はなんとかなりました。パスポートが家に眠っていたのです。
パスポートを財布に入れるほど酔狂な人間ではありませんから、こいつは無事でした。
パスポートも立派な本人確認書類の1つですから、ここからマイナンバーカードを復旧させ、色々な手続きを進められることがわかりました。ただし1ヶ月以上かかりますが。死ぬでしょ😇
まだ、まだなくなったと決まったわけでは...
と、ここまで色々調べて暗い展望が見えた中でも、まだポロッと出てくる希望を捨ててはいません。
一応手持ちのカード類は使ったらスマホに通知がくるようになっていて、この時点でまだそういう通知もなかったのでまだ確定的ではないという考えでした。
最後に見たのが会社の自席ですから、少なくとも自席を見てから判断しよう、うんそうしよう。
というわけで、会社に着いてから自席へと急ぎました。
財布、財布じゃないか!
そして自席にたどり着き、いつもカバンを置いている机の下を覗き込みました。
自席に着くや否や、机の下に潜り込む社員にはさぞ驚いたことでしょう。
すると、そこには冷たくなった財布ちゃんが一人寂しく救助を待っているところでした。かわいそうに...。
そう、結局どういうことだったかというと、
- 財布は会社カバンに入っていた
- 6/30(水)に自席で一度財布を取り出し、カバンに戻した
- ...つもりだったのだが、戻しにミスってそのまま床に転落した
のが真相だったようです。
財布に潜む大いなる脆弱性
結果的に、発見当日のガタンゴトンタイムでかなり焦りを感じたものの、実害的には何もなく財布ちゃんに再会することができました。
しかし、改めて痛感したのが「財布にモノを入れすぎ」ということでした。
結論から言えばパスポートがあったのでなんとか復旧可能だったのですが、なんでもかんでも入れておくのはよくないですね。いざというとき手持ちがなくて困る、みたいなデメリットは僅かに、極めて僅かにあるのですが、今回のハラハラに比べればそんなデメリットはないも同然です。
実は5年前にも似たようなことがあった
今回のなくしたかも騒動の中で少し思い返していたのが、5年ほど前にも一時的に財布を見失ったことがあったということです。
その時は旅行中の新幹線で座席前方の網ポケットに入れたまま(パンフレットの裏側に滑り込んでいたこともあり)忘れて下車してしまったことがありました。
このときは記憶としてハッキリしており、使用記憶からも数時間で気づいたためすぐ駅の遺失物センターで所在を確認することができていました。
とは言うものの、当時も似たように色々なものを入れていて、同じように反省した記憶がありました。
今回と違うのはまだスマホがほとんどキャッシュレスの機能を獲得していなかったこと、マイナンバーカードをまだ持っていなかったことなどありましたが、あのとき深く反省してしっかり財布の整理を行っていれば今回こんなにそわそわしなくてもよかったなぁ、という反省です。(5年ぶり2度目)
実際必要なものは何か?
というわけで今回こそは真面目に財布の見直しをしますが、結局のところ何が必要かというと、
- 現金
- キャッシュカード1枚
- デビットカード1枚(キャッシュカード兼用)
- 健康保険証
こうしようと思いました。
もはや財布の存在意義なんて現金持ち運び用だったりしますが、現金チャージができるようにという観点でキャッシュカードは持つとして、あとは念のためカードも。
実際にはソニー銀行のSony Bank WALLETなので、どちらも兼用で1枚で済みますし、カード利用もATM利用も即時通知が入り、アプリから自分でロックもできるのでセキュリティ的にも頼もしいです。
あとは微妙なところですが健康保険証。急な体調不良で病院に行くこともあると思いますのでこれは利便性のため一応入れておきます。
本人確認書類の1つではありますが、顔写真がないことから2点セットになることが多いので、これ単独ではまあいいだろうというのもあります。
あとは念の為、現物を見ないとわからない情報のため、こいつらの情報を書いたメモを自宅に残しておくことにします。
おわりに
結果的に何もなかったとはいえ、なかなかエキサイティングな危機管理トレーニングになりました。
ヒヤリハットの法則からすれば、こうしたヒヤリの先に重大な事故が隠れているはずなので、今度こそ野放しにせず、リスク回避や低減などでしっかり対策していくことにします。
(こうなると一番脆弱というかダメージが大きいのはスマホだと思いますが...)
一番わかりやすいのはAirTagみたいなトラッキングデバイスの導入ですが、どうしたものか。
皆さんも、大事なものの危機管理には重々お気をつけください。
お読みいただきありがとうございました!
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