この土日は久しぶりに外泊して遊んできました。
2ヶ月前くらいから、仲良くしている友人夫妻とコテージへ泊まりにいこうという話をしていて、行ってきたわけです。
目的地までの移動はその友人に車を出してもらい、片道3時間ほどで移動してきました。
友人と喋る感覚
現在のコロナ生活になってからというもの、外泊をしたのは3月以来のはずです。
移動中の車内や、実際にコテージに着いてから色々喋ったりして思ったのが、「時々刻々と変化する外的刺激を受けながら友人と喋る感覚」を長らく忘れていたということです。
車の窓から見える看板から話を始めたり、すっかり稲刈りの進んだ田んぼを見て話したり。
コロナ生活でリモート飲み会も何度かしていますが、やはり終始同じ画面を見ながら喋るわけなので、全然外的な刺激がなかったことに気付きました。
もちろん、気心知れた友人とだから話が弾むという側面はあると思うんですが、途切れない会話の中でも、予想しない話題の切り替わりが外からもたらされていく感覚はすごく久しぶりに感じました。
外の刺激を受けること
今回、すごく印象に残ったのが、今日の朝コテージで起きて、半分眠い頭でコテージの外に出て森の空気を吸ったときのあの感覚です。
10月頭ということもあり、朝方は少し肌寒くも気持ちいいヒンヤリとした空気があり、そこに気に茂る葉っぱや落ち葉と土の匂いを含んだ、森の匂いが加わります。
これがなんとも、すごく心地よかったんですよね。
確かに、外の刺激を受けるってことでは、家から少し出るなり、ベランダに出るなりすれば多少は、ってところなんですが、やはり環境が違うというのは大きいものでした。
基本的にはインドアな性分で、コロナ生活で閉じこもりがちになるのも、運動不足になることに気をつければ、こうしてブログを書いたり本を読んだりしながら結構楽しくやっていけていると思っていました。
でも、だめでしたね。
こうやって、たまには外の刺激を受けるってことが、こんなにも大事だってことを改めて感じました。
外と内から刺激をもらう
個人的に、スリルのある生活を望んでいるわけではないものの、やっぱりある種の刺激をもらうって大事だなと思います。
それは今回のような外からの刺激なのかもしれないですし、読書などで得られる内からの刺激なのかもしれません。
それも、どちらか一方だけというわけではなく、好みによるバランスは多少前後するにしても、どちらもあったほうがいいんでしょうね。
悪い意味で、このコロナ生活に慣れきってしまっていたんだと思いますが、変に慣れてしまって自分の興味を内に閉じ込めてしまわないよう、コロナ生活の中でも適度に内外の刺激バランスをとって生活していきたいなと思いました。
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