たくなくの雑記帳

思ったことを書き留める雑記帳

丁寧に暮らしたい

突然なんやねんということですが、今日ふと思ったのでそのことを書いてみます。

何もない休日の午後

今日は1日特段の予定がなかったんですが、お昼ご飯を食べたあとに妻がお出かけしていきました。整体にいくとか、チャリがほしいとかで。

では家に一人残った自分は何をしようかということで、少し考えたわけです。うーむ🙄

 それで、なんとなーくリビングで音楽を聴き始めました。

ほうほうこれは中々いい音である、そんな風に一人嬉しくなってきたわけです。

よーし、読書とコーヒーをキメよう

それでいい気分になったので、ここからさらに個人的「優雅な休日の過ごし方」である、コーヒーを飲みながら読書を合わせていこうと思いました。

Coffee, Book, Cosy, Table, Dish, England

もう頭はこんな感じです。あれを読もう、読みかけのあれを。

...と、頭の中では早々に思うわけなんですが優雅な休日をするわけなので部屋が散らかってたりするのはなんか違うなと思い、ゴミをまとめたり1個鎮座してたコップを洗ったり...というちょっと後回しにしてた家事をこなして、すっきりした空間を整えて、家も気持ちもさっぱりしてから読書に臨むことにしました。

 

丁寧な暮らしとはいいもんだ

そんなこんなでたどり着いた優雅な休日ですが、なんだかとても嬉しい気持ちで読書をすることができてました。

そんな折にちょうど読んでたのが、ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」って本で、主旨として「自分の心がいろいろなことを形作っていく」みたいな話が書かれています。

「原因」と「結果」の法則

「原因」と「結果」の法則

 

内容的にすごく好きなので、これはこれで書評にしたいなと思っているんですが、この本で著者が提案している内容が、まさに「自分が今こうして嬉しく読書できていることが幸せだということに気付く」ことだと感じました。

もし今、「最近良かったことはなんですか?」って聞かれて、僕は自信をもって「優雅な休日を過ごせたことです」って答えられますが、まぁ事実ベースで話してしまうと「え、そんだけ?」って感じですよね。

結局は「自分が満ち足りていただけ」って話で、客観的に興味を引くような話ではないんですが、個人的に

  • ふと音楽を聴いて嬉しくなる
  • せっせと家の片付けをする
  • すっきりした気持ちで好きな本を読む

ってこの一連の流れひとつひとつがなんだか心地よく感じていました。

特に、読書前に環境を丁寧に整えていたわけなんですが、細かなところまで気を回せるような「丁寧さ」が実は大事だったのかもとコーヒーをチビチビ飲みながら、これは日記に書ける...と思い始めました🤔

「雑な暮らし」と「丁寧な暮らし」

そんない「丁寧な暮らし」の対比として、「雑な暮らし」の様子を考えてみると、例えば疲れて帰ってきて服を脱ぎっぱなしにしているとか、食器を洗わずに放置しているとか。
脱いだ靴が揃っていないとか、ドアが微妙に開いてるとかもそうですね。

どれもちょっと気を付ければいいだけの話ですが、疲れていたり、イライラしていたりするとそれに気を回す余裕がなく、つい雑な生活に身を落としてしまうことが実際にあるなと思い返しました。

そうしたことを踏まえると、自分がそういった雑な状況ではなく、丁寧な状況にあることをそもそも嬉しく感じ、環境を丁寧に整えられることでより読書が気持ちよくなるのがさらにいいなと思うわけです。

 

派手な生活でなくていい

色々な文脈があるので一概に言えないですが、「刺激を求めにいく」ことが良いことだという話があったりします。
もちろん、僕自身は新しいことは嫌いじゃないですし、今の場所に安住し続けたいと思っているわけではないので、このくだりで刺激が不要だというつもりはないです。

とはいえ、僕は何気ない日常が結構好きです。
こうして家の中で嬉しいことを発見できるのも好きですし、日々の通勤の中で「あ、この車内広告初めて見たな」ってことだったり、その辺をテクテク歩いてる中で「金木犀の香りがする」なんてことをふと嬉しく感じます。
このように、どこに旅行にいったとか、どんな新しいことを体験したとか、そういう派出な生活じゃなかったとしても、こういった小さな刺激を発見することは自分には価値があることだと思います。

と、ここで少し話が飛びますが、先日「微弱な快楽」って言葉をTogetterで見かけました。

togetter.comなんとなく行動してしまうことで、微弱な快楽を受けていることがフツーになってしまい、本来快楽であったはずのことにも何も感じなくなってしまうという話です。

これを見ても思ったのが、やっぱり何気ない日常の中にも、何か面白いことや、嬉しいことを発見できるような感性で生きていたいということです。

このことも含めて、そんな「何気ないことを発見できる感性」を備えた暮らしが、今日みたいな「丁寧な暮らし」なのかなーって、ひっそりと思った休日の午後でした。

さーて、また明日から仕事がんばろう。そしてまたこの素晴らしい休日に帰ってこよう。

ではまた。

 

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