この前、仕事をしていて久しぶりに「否定的に解決する」って言葉を使いました。
なんだか新鮮だったのでそのあたりの話をします。
「否定的に解決する」ってなに?
たぶん、多くの人にとって「否定的に解決する」って言葉に耳馴染みはない気がします。多分数学用語です。
意味としては、「とある問題がその通りに解決できないことがわかった」という感じです。数学の証明では「○○であることを示せ」みたいな設問になり、高校数学はじめ、学校の勉強では「証明できるから証明させる」みたいな前提になっており、そういった意味で「肯定的に解決する」ことが、解決のあり方と認識されています。
一方で、「○○ってことが言えるんじゃないかなぁ」っていうレベルで自由に発想する本来の数学の世界では、「直感に反してそんなことは言えなかった」みたいに、「証明できないことがわかる」ということがあります。
「なんとかかんとか証明できないか」と思っていたところ、証明ができないというバッドエンドで終わっていますが、いずれにせよ「○○ってことが言えるんじゃないかなぁ」という当初の問題意識はあるいみ解決を迎えているわけです。
というわけで、「バッドエンドだけど一応結論は出た」ってことを「否定的に解決される」なんて言ったりします。これが言葉の意味です。
とはいえなんでそんな数学用語使ってるのと言われれば、それは僕の大学専攻が数学だったからです。一応。
なので、自分がそれを使うことに違和感はなかったんですが、とても久しぶりで新鮮でした。
数学以外に使わなくない?
ググってみたところ、この「否定的に解決する」ってことを数学以外の文脈で使っているのを基本的に見かけませんでした。
なので、先日の仕事でふと口をついてそういった僕の言葉は、他の会議参加者にとって意味不明だったかもしれません笑(文脈的に伝わったとは思う...🙄)
...という「数学以外に使わないのでは?」ってことにふと気づいて、これは日記に書こうと思ったわけです。
「否定的に解決する」ということ
普通に生きていて、あるいは仕事をしていて「すぐに結論が出ない厄介な問題」ってありますよね。
先日の会議でも、目下の課題になっているとある問題の取り扱いについてうんうん悩んでたんですが、「現時点でYesともNoともいえないから長く付き合っていかないといけない」みたいな流れになっていた一方で、直感的にはNoで片付けておけばよさそうな内容でもありました。
なので、そこで思い切って「少なくとも現時点ではNo、しばらくこの検討は凍結!」って言ってしまえば不毛な悩みから開放されるんですが、結論出るまで考え続けなきゃみたいな人が多かったので、
「現状で課題感が大きいためにこうして悩んでいることから、いま優先すべきはグレーな状態で時間を使い続けることではなく、少なくとも現時点で肯定的であれ否定的であれ、この課題感に決着をつけることではないですか?」
ってことを発言しました。
この打ち合わせ自体は、このことを受けて「現時点でYesと言えるものではないから、Noに位置づけて他の仕事が動けるようにしよう」ってことでまとまりましたが、打ち合わせが終わってから、この「否定的にでも解決しませんか?」っていう自分の発言をなんだか不思議に感じていました。
「否定的に解決すること」ってそんなにない
自分自身も何年ぶりに使ったかわからないこの表現ですが、確かに考えてみれば、あまり実世界で「否定的に解決する」ことが有益になるケースがないのかなって思いました。
通常の検討は、その会議で他の人がおそらく思っていたように、「Yesになってほしい問題」を扱うことが多いです。現時点ではできないんだけど、どうにかしてできるようにしよう、的な。
まぁ確かに、「できません、をやれるようにするのがお前の仕事だ」みたいな話はよく聞くので、「否定的に解決」っていう言葉自体、「解決」に値しないってことなのかもしれません。
でも「悩むことをやめる」ってそれじゃない?
というように、「Noに決着させる」ことが一般にあまりメリットのないことだと思いつつ、個人レベルだったら色んな悩みを否定的に解決することって多くない?とも思いました。
つい思ってしまうけど、現実的にそういうことはなく、でもやっぱり思ってしまうので、結果的に結構な頭のリソースを使わされ続けている、的な。
僕はこういう、「悩んでも仕方がないことを悩んでいたくない」っていう思いが強くて、ちゃんと考えて結論が出なかったもの/出せないものについては、条件付き凍結という形で収めることが多いです。
「○○みたいな製品が出たら買うけど、それが出てないのでそもそもそんなことは望まない」みたいな話です。
こういった「悩むことをやめる」っていう考えは、割と否定的に解決するって姿勢と似ているような気がして、身近ではない言葉ではあるけど、営みとしては割と身近かも?って思ったりしました。
「否定的に」と言うけれど
よくよく考えてみると、会議とリンクさせる場合の「否定的」って言葉には全然いいイメージがないですよね。「いつも否定から入ってくる人」みたいな。
このあたりは割と数学の特徴的なところだなーと思っていて、言葉の印象として良し悪しありそうなものであっても、数学に良し悪しとか善悪の判断はないので、全く他意なくインパクトある言葉が使われていることがあります。
- 強い条件 / 弱い条件
- 高々○○の~
- 適当な値で~
みたいな。
もしかするとこういう独特にドライな言語感覚が身に刻まれているかもしれない、そんな風に思ったとある会議の一節でした。
おわり。
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