たくなくの雑記帳

思ったことを書き留める雑記帳

書くということ(3000文字チャレンジ)

男もすなる3000文字チャレンジといふものを、女もしてみむとて、するなり。

 

きっかけはこちら。

 

このやーさん(@ohokamudumi)をはじめちらほらTLで3000文字チャレンジの存在は知っていたんですが、なんだかんだ手を出していなかったところ、「書くということ」というお題が面白そうだったので書いてみることにしました。

 

やーさんのチャレンジ記事タイトルを見て、「おっ、面白そうやん!ついにやってみるか!」と思ったのも束の間、よくよく読んでみるとなんと3000文字チャレンジが今回のお題で最終回になるとのこと。あらま。

 

読み手としては関わりを持っていたものの、書き手として一度も手を出していなかった手前、最終回に野次馬のように書くのは...いや、しかし...みたいな気持ちが少しありました。

 

が、しかし!
書き手ではなかったとはいえ、読み手としてこのコンテンツ群に楽しませてもらった身なので、最後くらい自分も参加して花を添えようではありませんか!そうだそういうスタンスでいこう!

 

というわけで、僕もこの3000文字チャレンジ「書くということ」にチャレンジしてみたいと思います。

 

― ― ― ― ―

 

さて、お題「書くということ」というテーマを見て、というかやーさん記事のタイトルを見て反射的に頭の中に思い浮かんだのは何かというと、

 

「書くということは、自らを吐き出すこと」

 

というイメージでした。

もう少し補足すると、やはり僕という人間のこれまでを振り返ってみると、高校生くらいからずっと「書くということ」で自らの思いを吐露してきたような気がします。このあたりのことは これまでのアウトプット:mixiからQiita, WordPressまで という記事でも触れていましたが、媒体は違えど、その時思っていたことをまとまった文章で書きたくなる性分だと改めて思いました。

 

自分の特徴のひとつに「書くということ」があるとした場合、それとセットで欠かせないのが「考えるということ」です。

どちらかといえばこちらが先とも言えますが、日々色々なものを見たり、聞いたり、様々な形で世界から刺激を受ける中で、それに反応して僕は自分の中で考えを巡らせます。

当然生きていれば刺激は受けますから、それに連動して考えも増えていきます。
とはいえ、考えて覚えていられる内容なんてそこまで多くない(記憶力というよりは忘却曲線的な話)ので、道筋立てた自分の考えを残しておきたいと思うわけです。

 

そういったことを思うと、確かに「考えるということ」が先にくるのかもしれないですが、考えた内容を簡単に捨てられない以上、それを大事にとっておく必要があり、それが「書くということ」に繋がっているように思いました。

もちろん、頭の中にあるだけでは気づかなかった道筋の不合理さであったり、そうした不合理を解消する中で見えてきた新しい道筋だったり、書くことがまた考えることにフィードバックを与えることも非常に多いので、ここまでくるともはや卵が先か、鶏が先か的な議論になってきます。

 

自分の中で大事な考えるということを支える書くということ、それを今こうやって考えているわけですが、このマトリョーシカのような構造もなかなか楽しいですね。

 

「書くということは、考えるということで、考えるということは、.... 🤔🤔🤔」

 

しかし、さらに遡っていくと、実は小学生/中学生くらいの頃はあまり書くことが好きではなく、夏休みの読書感想文とか驚くほど嫌いでした。

しかし今思えば読書感想文なんて400字の原稿用紙3-4枚くらいの分量なので、1000文字強くらいですよね。3000文字チャレンジにも及ばないやんけ感。

 

なんでそんなに書くことが苦手だったんだろうと思うと、当時はまず本を読むというイベントがなかったんですね。

今でもそうですが、題材としての考えることがなければ筆は動きませんから、本を読まなかった当時の僕からして「読書に対して何も思うことがないから、何も書くことがない」なんてことはある意味当然だったような気がします。

 

とはいえ、当時の僕に残るのは「読書感想文が苦手≒国語が苦手」というイメージで、僕は長らく国語という勉強が苦手なんだとずっと思ってきました。

実際、その思いは大学受験の寸前まで引きずっていて、二次試験に国語がある大学なんかは無条件に除外していたことを思い出します。

 

この大学受験の頃は既にmixi日記を書いていたので徐々に書くということが自分の中に芽生え始めていたんですが、長らく続いた「国語が苦手」なイメージが変わったのがセンター試験の国語でした。

国語が苦手なイメージの最たるものとして「作者の気持ちがわからない」的なものがありました。ネット上の揶揄表現として「作者の気持ちでも考えてろ」というのがありますが、あんな感じで不毛なことであるような印象が自分の中にあったわけです。
ですが、センター国語の勉強をしていくにつれて、「それを正解にする根拠がないと正解にできない」というある意味当たり前のことに気づいて、それまで思っていた「他人である作者の気持ちなんてわかるわけねぇだろ!」という思いは必ずしもそうではないと思ったりしました。

(たびたび「作者は作者の気持ちが答えられない」的なネタが話題になるので、書いてあることが作者の気持ちを表しているとも言い切れないケースはあるようですが...笑)

 

話が脱線しましたが、その頃から徐々に「文章を通じて筆者の考えを吐露する」ようなことに興味を持ち始めます。

元々は評論っぽい文章が好きなので、自分の書く文章もそんな感じの「言ってることはわかるが、面白くはない」ものになりがちなんですが、その反動からか、怪文書が好きな人格もこの頃からニョキニョキと芽生え始めます。
話し始めるとえらいことになるから詳しくは言わないけど、諸君、怪文書はいいぞ

 

ちなみに僕がすきなブロガーはやーさんをはじめとした怪文書メーカーの方々です。ずっと怪文書を書いててほしい。

怪文書の人たちってインプットからのアウトプットがブラックボックスすぎて面白いんですよね...、って言い始めるとえらいことになる(2回目)のでまた別の機会にします。

 

大学生くらいからいよいよ書くということが日常生活の一部に取り込まれはじめ、インターネッツを通じてなんだかんだ文章のインプット/アウトプット量も増えていきます。

mixiが下火になり、社会人で生活が変わったこともあり、一時的に書くということから遠ざかっていた時期はあったのですが、結局Qiitaで書くことに戻り、それが一段落したらお金の話でWordPressでブログを持ち、挙げ句お金以外の話もしたくなってこの雑記ブログも追加開設するに至りました。

 

この最後の「お金以外の話もしたくなって」というのが決定的で、やっぱり僕は「書くということ」そのものが好きなんだなと思いました。

メインのブログなんかは実用性なんかを意識して書いているところもあり、本当に誰の役にも立たない内容はさすがに書かないようにしています。

が、こっちは本当に役に立たない文章ばかり、いや、役に立つかどうかの尺度で全く見ていないのでそれすらも分からないし、興味を持ったこともないというフィールドです。

 

そういう意味で、この雑記ブログは自分の心の受け皿になっていて、日々考えた内容を大切にとっておく大事な宝箱みたいなものです。

え?そんな大事なもの開け放しておくなって?

いやぁ、反応もらえるならもらいたいじゃないですか。僕だって人間ですし。

 

そうこうしているうちに3000文字を超えてきました。小学生の僕なら全く筆が動かずひと夏を終えているレベルです。助けてあげられるなら助けてあげたい。

 

改めて、ここまで吐き出した上で「書くということ」をイメージすると、

 

「好きだから、続けたい」

 

って思いが浮かびました。

もちろん単なる趣味の話なので、書き続けなければ死ぬみたいな強迫観念はないですが、きっとこれまでのことからすると、一時的に離れることはあっても、いずれ耐えきれなくなって戻ってくるんだろうと思います。

10年20年経っても続けていたいし、何より楽しみなのが10年20年経ったあとで昔の文章を振り返ることです。昔の自分をどう思うのかはわかりませんが、自分の吐き出したものが、未来の自分にも何か影響を与えると思うと何とも言えない楽しみがあります。

 

え?mixi日記だったらもう書いてから10年経ってるでしょ、って?

なんのことですかね。知らない子ですね。(見たことはある、あるが...😇)

 

― ― ― ― ―

 

ということで、最後のお題となった3000文字チャレンジに、はじめてチャレンジしてみました!

 

新規のお題としてはこれまでなのかもしれませんが、なかなか楽しい企画だったので、気づいたものをもう1つ2つ書いてみようかなと思います。

 

最後になりましたが、3000文字チャレンジを通じて楽しいコンテンツを提供してくれた参加者の皆さん、企画・運営をされていたこぼりたつやさん、なかのさんお疲れさまでした!

 

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