この前友人と喋っていてこれはなかなか面白いとなったので、自分でもう少し考えるの兼ねてブログネタに。
- 親しみのバロメータ
- 「余命1ヶ月って言われたら何して過ごす?」
- さて僕はどのように動くのだろうか
- イメージできる人、できない人
- もっと端的に見たい場合:肖像診断
- 自分がどう見られているかってなかなか面白い
親しみのバロメータ
昔からなんとなく思ってたんですが、その人が自分にとって親しい間柄にあるかどうかって、「自分の中でその人を動かせるか」ってものがあると思ってます。
小説なんかを読み進めていくとそういう感覚になることありますし、小説家自身が登場人物についてそんな風に表現しているのを聞いたりもします。
要するに、その人のパーソナリティを自分の中で整理して、「仮にこういう状況だったらこの人はきっとこう動くんじゃないか」っていうことに自信が持てるかってことです。
当たり前ですが、知らない人は動かせませんし、知っていても仕事だけの関係だったりすると、「あの人が子どもと遊んでる姿は想像できない」みたいになかなか動きのバリエーションがなかったりします。
そういう意味で、「自分の中でその人を動かせる」っていうのは、あくまで "自分から見て" という点で、親しみ(≠親しさ)のバロメータになり得るんじゃなかなと思っています。
「余命1ヶ月って言われたら何して過ごす?」
そうしたときに、この前盛り上がったのが、僕から見たその友人が「余命1ヶ月って言われたら何して過ごしそうか」ってことでした。
僕のイメージとしては
- とりあえず楽しい1ヶ月を過ごすことに力を尽くすと思う
- そんな流れで「あと1ヶ月で死ぬことになったので遊ぼうよ」みたいな連絡が自分にもきそうだ
- 少人数でちまちま遊ぶよりは、BBQとか、ある程度まとまった人数でできる遊び方を好むだろう
- もし時間が余るようなら、キャンピングカー借りて気ままに日本を巡ってそう
- そんなことをしながら「まぁこれはこれで悪くなかったかな」って思って死ぬ
みたいな感じだったんですが、友人本人としても割とそうだと思う、魅力的な1ヶ月のプランだと思うみたいな反応をもらいました。
さて僕はどのように動くのだろうか
というわけで次は僕の番です。同じように聞いてみたところ、
- とりあえず落ち着いて、死ぬことを理解すると思う
- 誰でもかれでも「あと1ヶ月で死ぬ」ってことを伝えるでもないが、隠すわけでもなく、自然体でいるような気がする
- でも自分自身では残りの1ヶ月をとても大事に考えていて、日々の考えや感じ方をブログを書き残すとか、何か意味のあることをやりそう
- もしかしたら最後の最後に何かが完成して、残った自分たちが少し驚くような、そういう "らしさ" が残る終わりへ、ある意味前向きに進んでそうなイメージ
って感じらしいです。ふーむ。
そもそも何を理由に余命1ヶ月なのってところはありますが、確かにそれを確実なものと理解してからは、自分なりの終わりに向かっていきそうな気はします。
会いたい人がいるとしたらどれくらいいるだろうなー。ちょっとリストアップしてみたい。
イメージできる人、できない人
友人と自分と、2人分やったあとで次は共通の友人・知人に進んだりしましたが、やはりイメージできる人のイメージは大体一致するんですよね。不思議と。
なんでそう思うの、って言われても「だってそんな気がするじゃん」ってことでしかなく、普段自分の考えの言語化に努めてる自分としてもなかなか新鮮な話でした。
イメージできる人の中でもいくつかのパターンがあって、
- 死を受け入れるのに時間がかかる人 / かからない人
- それを人に打ち明ける人 / 打ち明けない人
- 残り時間を人に使う人 / コトに使う人
など、いくつかの軸で見るだけでもなかなか面白い分析でした。
もっと端的に見たい場合:肖像診断
個人的にもう1つ、こういった他人診断のやり方で思っていたのが、肖像診断(今名付けた)です。
その人を写真1枚でイメージして、その表情を考えるというもの。
笑顔なのか、真顔なのか。嬉しそうか、悲しそうか。などなど。
このあたりは通勤中なんかに通行人を眺めていて、特になにもないだろうと思われるのに眉間にシワを寄せている人、よくわからないけど少しワクワクした面持ちをしている人なんかを見ていて、この人たちのパーソナリティはどんな感じなんだろうと考えたりするのと似ています。
この考えでイメージしたとき、さっきの余命1ヶ月診断と関連するのは、
- 笑顔の人は楽しさ重視で過ごしそう
- 真顔の人は少し "余命1ヶ月" の受け止めに苦労しそう
- 嬉しそうな人は自分なりの価値観を大事にして過ごしそう
- 悲しそうな人は1ヶ月悩み続けていそう
みたいなイメージです。やりすぎるとレッテルを貼るみたいになりますが。
自分がどう見られているかってなかなか面白い
自己分析をする際に出てくる考え方に、ジョハリの窓ってのがありますが、この余命1ヶ月診断は①や②の他人が知っている窓にあたるものですね。
自分でわかっているところもあれば、他人にしか見えていないところも聞けたりして個人的には面白かったです。
これを勝手に「診断」とか言ってますが、マジレスすれば診断と言うのも失礼ないくらい感性以外になんの根拠もないものです。
とはいえ、自分が相手に対して感じるものがあるように、相手が自分に感じるものも同じくらい信憑性がある部分があると思っています。それだけに、自分が思いもよらなかった部分であっても、その根本を探る価値があるような、そんな気がしました。
なんとなくの会話で飛び出した話のネタではありますが、こういった話はまた10年後とかにも聞いてみたいですね。相変わらずブログを書きそうな自分なんでしょうか😎
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