たくなくの雑記帳

思ったことを書き留める雑記帳

自己肯定感とかいろいろ

最近ぼんやりと考えていたことが色々繋がってきたのでつらつら書いてみる。

「キャリア観がない」のは悪いのか?

あまりそのことをブログやTwitterで押し出しているわけではないですが、僕は労働組合の役員をやっているので、会社の人事制度なんかについて考えることが多かったりします。

ブラック企業が世の中からなくなったわけではないにせよ、ありがたいことにうちの会社ではずいぶん定量的な、制度で一括りにできるような問題は概ね解消されてきているので、マズローの欲求でいうところの生理的・安全の欲求から社会的欲求とか承認欲求のところに課題意識が向かいつつあります。

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引用:マズローの欲求5段階説とは? (STUDY HACKER)

そんな中で、最近特徴的な話題の一つに「キャリアに対して漠然とした不安がある」というものがあります。

 

どういうことかというと、何もわからない新入社員として入ってきた頃はとにかく勉強でよかったものの、ある程度スキルも身について、自分の意思や裁量で働けるようになったとき、また30歳くらいで転職の波を感じたり、結婚や出産で自分の人生の遠くまで眺めようとする時期で特にこういった不安に駆られる人が多いようです。

キャリアは描けるべきなのか?

こうした意見があったとき、「だからみんながキャリアを描けるようにすべきなのだ」ってなるのがとても教科書的な反応です。会社の研修でもそういうメッセージングされますし、キャリアプランがあることが善なるものとして刷り込まれているためです。

こうしたキャリアプランに対する強迫観念はここでいう「何者かになりたい人々」に通じるものがあるなぁと漠然と考えていました。

 

大体この手のはっきりしない話を取り扱う場合には、仮説を立ててそれをアンケートによって実証するというようなアプローチを取ります。
一般にアンケートはフリーコメントでアイデアを募るような印象があると思いますが、仕事としてやっているアンケートの作り手がじっくり考えて出なかったアイデアを、ふとアンケートを求められた受け手がスッと出してくれるというのは結構稀なので、こういうアプローチになります。

まずこの問題に対して取ったのは、「将来への不安があるか」という感覚と、「キャリアプランがあるか」という感覚の相関です。
詳しい内容は割愛しますが、結果としては概ね、

というようなものでした。そりゃそうだ。

確かに、キャリアプランがあると答えた人のほうが、将来への不安の程度は低いように見受けられました。しかし、特異で片付けられないほどの人が「キャリアプランないけど不安もない」と答えているため、「別になくてもいいんじゃ?」という考えも生まれてきます。

キャリアプランがないけど不安が少ない人とは?

というわけで、何人かの「キャリアプランがないけど不安が少ない人」とコンタクトを取り、インタビュー的な感じで、キャリアとか、不安とかについて色々話してみることにしました。

そうすると、結局のところ、不安の形成に大きく影響しているのは

  • 自分で認められる、何か過去に成功した体験
  • あるいは、何か失敗したとしても、それをなんとか克服していける予感
  • 自分の能力が何かの役に立てるという実感
  • 日々の生活に選択肢があり、それを自ら選び取っている感覚

このあたりの有無だということがわかってきました。

 

こういう検討を進める中で薄々は感じていましたが、「これって自己肯定感だよなぁ...」という思いが強くなっていきます。

 

自己肯定感の正体とは

というわけで次はキャリア不安の話から少し切り口を変え、「自己肯定感の欠如」という観点で考えを深めていくことにします。

選択の科学

自己肯定感のことを考えるに、ずっと頭にあったのが選択の科学という本の内容です。

なかなか分厚い本なので読むには気合いがいりますが、この本の主題は「選択という行為、あるいは実感の意味と、それが人に与える効能」みたいなもので、それを解き明かす営みを総称して、選択の科学というタイトルがついています。

 

いくつか気になったエピソードとしては、

  • 動物実験において電気刺激に抵抗の余地(スイッチを押せれば止まる)を与えると、抵抗の余地がない場合よりもより高い耐性を持つ
  • 厳しい戒律を持つ宗教の信者は、そうでない人よりも将来への楽観的幸福度が高い傾向がある

みたいなものがありました。

前者はとてもわかりやすく無力感を表現していて、抵抗の余地がないとわかると動物は弱くなるというものです。自分がどう考えるによらず、何も変えられないとするなら何もやらなくなるとか、そういった感覚なのでしょう。

そう思うと、後者の厳しい戒律も選択の余地を奪っていることから、無力感に繋がるのかと思いきや、こちらは「自ら望んで苦しい中にあるのだから、きっと報われるはずだ」という心の拠り所として機能しているようでした。

結果として、厳しい戒律の中にあって行動の選択肢は少ないのかもしれないですが、「それに従う」と決めた自分の選択の下にあるという点で、無力感を感じないというのは意外な観点でした。

全体として、

  • 選択肢が見えているということ
  • 自分に選択の余地があると感じられること

がいかに人の感覚に重要な意味を持っているか、ということを感じた1冊でした。

自己肯定感の教科書

そうした選択の科学のイメージがありつつも、改めて自己肯定感という言葉を真っ向から読み解いてみようと思い、いくつか本を読んでみました。その中で一番しっくりきたのがこちら。なんだか見た目はうさんくさい(失礼)ですが、中身はとてもよかったです。

この本の全体的な流れとして、

  • [1-2章] 自己肯定感とは?
  • [3-4章] 自己肯定感の高め方は?

というシンプルな構成になっています。

その2章の中で、自己肯定感をもう少し分解した捉え方として、

 【第2章】自己肯定感はつくれる!――自己肯定感を構成する6つの要素とは?
<第1感>「自尊感情」――しなやかな自分軸を作る
<第2感>「自己受容感」――何度でも立ち上がる強さを身につける
<第3感>「自己効力感」――何度でも挑戦する自分になる
<第4感>「自己信頼感」――セレンディピティを引き寄せる
<第5感>「自己決定感」――自立して自分の人生を切り拓く
<第6感>「自己有用感」――社会の中で自分らしさを発揮する

 という6つの側面で説明されています。

この切り口は個人的にとてもしっくりきました。自己肯定感に着目するときの、「キャリアプランがないけど不安が少ない人」の特徴を、これらの言葉できれいに整理できるような気がしたからです。

  • (自己効力感)自分で認められる、何か過去に成功した体験
  • (自己受容感・自己信頼感)あるいは、何か失敗したとしても、それをなんとか克服していける予感
  • (自己有用感)自分の能力が何かの役に立てるという実感
  • (自己決定感)日々の生活に選択肢があり、それを自ら選び取っている感覚

 という具合です。

 

この本の内容、分析が正しいとした場合ではありますが、将来への不安があるということはキャリアプランの欠如が理由ではなく、「この先色々あるだろうけどなんとかなるだろう」という楽観意識の欠如が支配的なのではないかと思うようになりました。

そういう意味ではこの3-4章がそのままこれから取るべきアプローチになるのかもしれません。

自分に大事なものを見つける

そんなことを考えながら、なんとなくゲームさんぽを見ていました。ゲームさんぽについてはこちら。内容にもよりますが、全体的にオススメです。

このうち、なんとなく重そうなので見ていなかった精神科医と巡るシリーズを見ていました。

ゲーム的にはホラーというか、不気味な世界観を描いているので内容の好き嫌いはあると思うんですが、オマケ的についていた相談会に興味深いやりとりがありました。

日々、漠然と不満足感が拭えません

それがこのQ1(0:20~)にあたるところで、内容としては「うつ病から回復したものの、それ以前に楽しめていたものがそう感じられず、不満足感に包まれている」という内容です。

それに対して、「うつ病を契機としてむしろ日々漠然と流れていた満足感の正体を見つめ直すようになり、それがかえって不満足を引き起こしている」というような切り口から、次のようなアドバイスが贈られていました。

じゃあ満足って何か
たくさんのうつ病の人はそれまでは、これだけの量をこなしたら満足だと思ってきた、でもそんなのおかしいでしょ?

だからあなたにとって今日1日、何を達成すれば満足できるのか、それはすごく難しい、哲学的な問なんですよ。

あなたは抽象的な事はもう捉えられているじゃないですか、だから具体的な事
今日の満足は何か、それができなかったら1週間で何か。

今日1日、この1週間でちゃんと満足できるものって何かということを見つけて欲しい。

ここで言っている、

  • 自分の軸で捉える
  • 抽象的なことではなく、具体的な事に集中する

ということ、そしてそれを良しとできる心の持ちようはまさに自己肯定感だなと思いました。

自分は、自分の言葉で喋っているか?

次のQ2では「自分が自分の考えを持てているのか、周囲に影響されているだけなのか自信がない」というような話が出てきます。そうしたとき、人の心を診るスペシャリストである精神科医はそのあたり優れているのか、という質問。

それに対しては精神科医だろうがなんだろうが、同じだという答えを返し、その中でこんな話をしていました。

今自分は自分の言葉で喋っているんだろうか?
100日か200日くらい気をつけていると、だんだん自分の言葉で喋っているなという実感が出てきます。

大学の授業で試験をするとき、

  • A4で1枚以上書いたら落第
  • A4半分でいいので、「3回自分で読み返しても面白い」内容にすること

という条件を出したら、みんな悩みだして、面白くないレポートばかりが送られてきた。
それは誰かが言ってることを書いてるから。誰かが言ったことを題材に、自分が考えたことを書いたら面白い

だから、自分が話すときも、できるだけ自分が興味を持てる内容を話したい

 このあたりのことを聞きながら、なんとなくTwitterでのつぶやきやら、こうしたブログでの発信のことを思い返しました。

ここで書いているような内容は誰に言われるでもなく書いている趣味ですし、だからこそ他人から借りてきた内容を話すようなものでもありません。
でもこうした一種の "トレーニング" を1年以上続けたことで、ここで言うところの自分の言葉で喋っている感覚は間違いなくありますし、こうしたトレーニングを前提とするなら、自分の言葉でないと感じる人がいても不思議ではないと感じました。

とはいえ、発信するにも自己肯定感がいる

じゃあ自分の言葉で喋るために、自分にとって価値あることを見定め、そして自分にとっての価値を自ら発信していけばそれが自己肯定感に結びついていくのだというと厄介な問題があります。

その入口にあたる「自分にとって価値を認めること」「自分にとっての価値を発信すること」のいずれにも、やはり自己肯定感がいるということです。

当然ながら、これは卵が先か鶏が先かという話で、決定的にどちらが先というわけではないということになり、どちらも先であり、どちらも後であるという両輪でしょう。

 

なので、自己肯定感がなく、一歩踏み出せないとする場合には、それでも一歩踏み出す勇気であったり、その恐怖を肩代わりしてあげるような周囲のサポートが必要になってくるんだろうなとぼんやり思いました。

 

自己肯定感って大事だ

元々の話は「キャリアプランの欠如」に端を発するものでしたが、色々と考えていくと、結局は自己肯定感の話に行き着くように頭が整理されてきました。

自己肯定感ってその単語だけで聞くとナルシストみたいな偏屈なイメージが生まれなくもないですが、自己肯定感の教科書で見たような6つの要素から丁寧に読み解いていくと、自分の行動をほかの誰でもない自分によって肯定するような、内向きの力の源泉であるように思いました。

 

自分で生み出し、自分に作用する力だからこそ、扱いを間違えると大きな影響を与えそうではありますが、味方につければこれほど強力なものはないと思いますので、日々の考えであったり、こうしたブログを通じたトレーニングであったりから、自分の自己肯定感を大事にしていきたいと思います。

 

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