たくなくの雑記帳

思ったことを書き留める雑記帳

あぁ大いなる三体ロス

少し時間経ちましたが、三体シリーズを読み終えたのでその感想でも。

SF小説 三体シリーズ

以前も日記で書きましたが、中国のSF小説「三体」シリーズをこのところ読んでいました。

6月のKindleセールで三体Ⅰを買い、ダラダラ1ヶ月くらいかけて読み切りましたが、その後はスラスラスラリとⅡ、Ⅲを読み切ってしまいました。

 

購入日なんかを見るに、おおよそこれくらいのスケジュールだったようです。

  • 06/06~ 三体Ⅰ(448p)
  • 07/11~ 三体Ⅱ 黒暗森林 上(336p)/下(348p)
  • 07/18~ 三体Ⅲ 死神永生 上(432p)/下(448p)
  • 07/23  読了

読むスピードがどんどん加速しているのがわかりますね。最後の三体Ⅲに関しては5日で900ページ近くを読んでいることになります。恐ろしい...。

というわけで、三体Ⅰを読み切ってから、どんな気持ちだったのかさらっと振り返ってみます。

そこまで露骨ではありませんが、ある程度ネタバレしてしまうので、これから読もうとしている人は気を付けてください。

 

三体Ⅱ 黒暗森林

三体Ⅱは当然三体Ⅰの続きですが、三体Ⅰがどういう終わりだったかと言うと、地球から最も近いαケンタウリ星系に知的生命体、三体人がいて、三体艦隊が400年かけて太陽系に向かってきていることが判明するというものでした。

さらに、地球の飛躍的な技術革新を恐れた三体人がソフォン(智子)と呼ばれる偵察粒子を投入し、粒子加速器による実験を攪乱したり、人類の情報を筒抜けに傍受しているという絶望的な状況からはじまります。

加速器を封じるという攻撃

ここまでの話は三体Ⅰの範疇ではありますが、改めて技術革新における加速器の存在がいかに大きいかというのが、三体シリーズを通じて思い知らされます。攻撃兵器ひとつとっても、ダイナマイトなんかのせいぜい火薬程度だったものが、原爆/水爆と飛躍的に威力を高められたのは基礎物理学の賜物と言えます。

そういった基礎物理学の発展を阻害するには加速器におけるミクロ世界の観察を阻害すればよく、これほど厄介な攻撃があったものかと唸らされました。

ならば、ならば戦略だ

そうして三体艦隊の到着まで400年も猶予があるにも関わらず、技術革新を封じられた人類が考えたのが戦略による勝利です。

しかも、通常の戦略はこれまたソフォンによって筒抜けなので、数名の頭の中で組み立てられる戦略に全てを託すというなかなかダイナミックなもので、三体Ⅰでしれっと語られていた「三体人は他人の考えていることを包み隠さず読み取れる」という三体人の特徴を上手く捉えたストーリー展開でした。

この部分に限らずですが、個人的に三体の面白みはこういったシンプルな設定の差し込みによって、そこから大きくストーリーを紡いでいくところにあるような気がしました。

暗黒森林理論

シンプルな始まりから展開するといえば、作中に出てくるというか、三体Ⅱのタイトルにも繋がっている暗黒森林理論もその1つでした。

暗黒森林理論の意味するところを腹落ちするにはちょっと話が長くなるので割愛しますが、この宇宙での振舞い方を考察する、宇宙社会学を論じるための公理2つと補足的なアイデア2つで組み上げられていること、そしてその証左となるストーリーが三体Ⅱ全体でじっくり準備されてきていることは、最後の種明かしフェーズで大きな爽快感を与えてくれます。
これも「爽快感」というよりは、ただただその巧妙さに唸るというか、そうした宇宙の捉え方に慄くばかりでした。

「宇宙人は実在するのか?」

これは三体に限らずですが、SFとか宇宙とかの話をする場合、話に上がるのが「宇宙人は実在するのか?」という話です。

そうした問いを考察したものとして、ドレイクの方程式であったり、フェルミのパラドックスなんかがあるわけですが、そうした内容も薄く散りばめられているようなストーリーになっており、そういうSF好き/考察好きには十分楽しめるのがこの三体Ⅱでした。

三体Ⅲまでで完結した三体シリーズですが、ストーリーの奥深さという意味でこの三体Ⅱを一番に挙げる人も多いようですね。

三体Ⅲ 死神永生

そしてシリーズ締めくくりとなる三体Ⅲです。

ここで改めて、三体シリーズのストーリーを大づかみに言ってしまえば、

  • 三体Ⅰ 人類と宇宙人のコンタクトを描いたSF
  • 三体Ⅱ 人類と宇宙人の攻防/抑止関係を描いたSF
  • 三体Ⅲ 物語のスケールを時間的/空間的に極大まで展開したSF

という感じだと言えるでしょう。なのでもはや宇宙人がどうとかっていうものではなくなるのが三体Ⅲの特徴です。

愛に生きる主人公

三体シリーズはⅠ/Ⅱ/Ⅲそれぞれで世界観を同じくしますが、主として描く人物が毎回異なります。ⅠとⅡの主人公は理性的な、理詰めタイプの主人公でしたが、Ⅲの主人公はそれに対して愛に生きるタイプの主人公です。

なので理詰めではまた別のストーリーになったんだと思いますが、それまでとまた少しテイストが違うという意味でアリなのかなと思いました。

(もちろん、人によっては「主人公がちょっと...」みたいにイマイチに思う人もいるようでした)

童話に隠されたメッセージ

この物語の中盤、色々あって三体世界で生きる友人と主人公が会話する場面があります。

体裁としては単に喋ってるだけで、友人サイドから三体世界の情報を伝えるなんてことはできないんですが、それをすり抜けるべく童話に乗せてメッセージを伝える試みが繰り広げられます。
繰り広げられると言っても、友人サイドは単に意味ありげな童話を語り、主人公サイドはその童話の意味を後ほどうんうん言いながら読み解こうとするっていう形です。

この童話が結構長くて、ほんとに初見で読んだとき、その時点からメッセージが含まれている可能性が示唆されていたにも関わらず、どういう話か全然わからず、作中の人物同様、「そんな意味ありげなメッセージなどないのではないか」と思ったほどでした。

が、物語が進むにつれ1つ、また1つ隠されたメッセージが紐解かれていき、最終的には確かにこの三体Ⅲのストーリーの比喩を多く含むものであったことがわかってきます。

 

そうやって隠れたメッセージがあることを匂わせながら、それでもなお読み取れないこの童話はどうやって考え出されたのか、その考案プロセスがとても気になりました。やはりプロの作家ってやべぇ...と思いましたね。

あと、自分は日本語訳で読んでいるわけですが、このあたりのギミックが含まれた部分って原文の中国語版だとどうだとか、それより読みやすいと称される英語版だとどうだとか、多言語版でどう表現されているのか気になったりもしました。

加速度的に大きくなるスケール

三体Ⅰが中国国内の話からやがて地球スケールの話になり、三体Ⅱが太陽系スケールの話へと拡大していったのと同様、三体Ⅲもさらにスケールは大きくなります。

物語の大部分はもちろん太陽系のことですが、最終的には太陽系を飛び出し、さらには時間も飛び越えて宇宙の熱的死をも見据えたストーリーに展開していきます。

ここまでくるとあまりのスケールに何が何だか...というところもありますが、ここまでくるともうなんでもこいと思えてしまうレベルですね笑

そのあたりになると、もはや攻防というものも通常の理解を超えていき、もはや何が攻撃になっていくのかもよくわからなかったりと、ついていくので精一杯という感じになっていきました。

 

この辺のスケールの大きさは割と意図的なようで、通常のSFの話は三体Ⅱまででやったからということで三体Ⅲはもう振り切ってやろうとかそういう感じだったみたいですね。
基本的なテイストは違いますが、スケールのぶっ飛び方はダグラス・アダムス銀河ヒッチハイク・ガイドを思い出しました。

そして三体ロスへ・・・

さてそんなこんなですっかり三体の世界を堪能したところですが、面白く読めば読むほど終わりは近づくもので、ついに三体Ⅲの下巻を読み終わり、めでたく三体シリーズが完結しました。

改めてシリーズ全体を振り返ると、中国国内、それも文化大革命の頃に遡りつつも現実世界の延長として物語をスタートさせ、極力少なく、巧妙に前提を挿入していきながらストーリーを展開しました。

もちろん、巧妙に挿入された前提によってこの世界観が支えられているとは理解しつつも、この広い宇宙では実際にそうなのかもしれないと思えますし、色々な可能性を感じながら読み進め、また仕事などで読書が中断されるときも三体世界に取りつかれたように色々な考えが頭をよぎっていました。

そうしてすっかり頭がSF化されていたところに、このシリーズ完結がくるもんですから、もう心にポッカリ穴が開いたような、なんとも言えない感覚がしばらく続きました。

このポッカリ感を埋めるべく、三体のレビューや考察なんかを読んでいたんですが、どうやらこのポッカリ感は割と共通の症状のようで、通称三体ロスというらしいです。うーん、まさに。

この三体ロスを埋めるべく、またSF映画をいくつか見てみましたが、イマイチでしたね...。やはりこの三体のスケールには及ぶべくもなく、かえって不完全燃焼感が強まるばかりでした。

最終的には訳者の大森望さんが触れていたSF小説の名作、「幼年期の終わり」を読んでいるところです。終わったら「火星年代記」を読むつもりです。

ドラマ化されるぞーーー!

そして後日、そんな三体ロスに陥っている話を、三体を知るきっかけになった社内の読書チャンネルで話していたところ、

 

「三体ってドラマ化されるんですよね」

 

という耳寄りな情報をキャッチしました。マジかよ。

 

実際に調べてみると、

ってことでどうやらマジらしく、なかなか期待できそうな感じがしました。

ベニオフとワイスの二人組といえば、ゲーム・オブ・スローンズの大成功と、ストリーミング動画サービスに各社が全力を傾ける状況を受け壮絶な契約合戦が繰り広げられたのち、ディズニーでスカイウォーカー9部作が終わった後の新たなスター・ウォーズ映画を撮影することを発表していました。

しかしその後、破格の金額で Netflix とも新作制作を結び、スター・ウォーズはネトフリ作品で多忙になり、両方同時に制作するには時間が足りないとの理由で立ち消えになっていました。

スター・ウォーズを蹴って制作するのはどんな作品だろう、と注目されていましたが、三体ならば「ああ…」と納得せざるを得ません。 

確かにスターウォーズも歴史に残るSFの名作だとは思いますが、どっちを取れと言われれば、未だ映像化されていない三体シリーズを取ってほしいと思ってしまうところで、まさしく「ああ...」ですね。

2020年9月に製作が発表され、放映時期などの続報はまだありませんが、とにかく楽しみです。

三体Ⅱはまだいいとして、三体Ⅲの映像化は難しいのでは...と思ったりもしますが、インターステラーなんかで結構チャレンジングな映像化はこれまでもやられているので、「かえってガッカリ」なことを心配せずとも、いいもんが出来上がるのかもしれません。(とはいえ、そう言って期待しすぎるのも毒ですが...)

 

記憶を無くしてもう一度読みたい

というわけで三体シリーズ計5冊、単行本換算で約2000ページの大作でしたが、三体Ⅰを読み終えてからのスピードは間違いなく自分史上最速となる作品でした。

とにかくそれだけ面白かったということですが、もし、もし許されるならもう一度まっさらな頭でこの壮大な物語を体験したいという気持ちになるレベルでした。

ちょうど三体Ⅲを読み終えた日がワクチン2回目の日だったので、

 

「あぁ、このワクチンの副反応で読んだ記憶消えないかな...(三体ロス脳)」

 

みたいなことを考えていました笑

 

長々と書いてしまいましたが、宇宙とかSFとか、そういったものが好きな人は間違いなく楽しく読める、そんな傑作のSF小説シリーズでした。

興味があるかも?と思う方はぜひ読んでみてください。期待を裏切らない素晴らしい作品です!

 

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