たくなくの雑記帳

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株クラ小説:Phantomを読んでみた

株クラ小説だとか、FIRE小説だとか称される羽田圭介さんのPhantomを読んでみました。

べらぼうに面白いかというとそうでもないのですが、色々と考えさせられるところがあり、個人的には小説らしからぬ変わった面白さが感じられる一冊でした。

Phantom(羽田圭介

まずは簡単に本の紹介でも。

Phantomは2021年に出版されたばかりの比較的新しい小説です。作者は芥川賞作家の羽田圭介さんで、メディアにもよく出る方なので顔から思い浮かぶ人も多いかもしれません。

Amazonなどの作品紹介では、

外資系食料品メーカーの事務職として働く元地下アイドルの華美は、
生活費を切り詰め株に投資することで、
給与収入と同じ配当を生む分身(システム)の構築を目論んでいる。
恋人の直幸は「使わないお金は死んでいる」と華美を笑うが、
とある人物率いるオンラインコミュニティ活動にのめり込んでゆく。
そのアップデートされた物々交換の世界は、
マネーゲームに明け暮れる現代の金融システムを乗り越えゆくのだ、と。

やがて会員たちと集団生活を始めた直幸を取り戻すべく、
華美は《分身》の力を使おうとするのだが……。
金に近づけば、死に近づく。
高度に発達した資本主義、その欠陥を衝くように生まれる新たな幻影。
羽田圭介の新たな代表作。

と表現されていて、主人公の華美が投資していたり、FIREを目指していたりするところがTwitterの投資クラスタ、いわゆる株クラなんかでも話題になっていました。

気にはなるなーと思いながらとりあえずキープしていたところ、先日のKindleセールで50%ポイント還元になっていたのでこれ幸いと買ってここ数日読んでました。

それでは、ここから具体的な感想を書いていくことにします。ネタバレも多分含んでますのでこれから読もうと思っている方は気を付けてください。

 

前半は確かに株クラ小説っぽかった

実際に読み始めてみると、確かに株クラを想起させるような話題が散りばめられつつ、華美の生活が描かれていきます。

なんだかんだ象徴的なのは、冒頭すぐに展開される「友人の結婚式招待」のくだり。
ちょっと引用します。(数字部分だけ算用数字にしています)

二次会からでいいのか。挙式や披露宴に参加しないのなら、ご祝儀の3万円は必要ない。華美は、二次会参加にともなう総費用を試算する。
(略)
合計、1万2460円。
そして、使うかどうかを自分で選択できるその金額に対する計算式が、たちあがる。
便宜的に1万円で計算するとして、それで配当利回り5%の高配当米国株を買えば、円換算にして1年で500円の配当金がもらえる。それを元手に1万円に足しての配当を計算、つまり配当金再投資による複利運用をし続ければ、1万円が10年後には1万6289円に、20年後2万6533円、30年後には4万3219円になっている。

このように、現在の支出を投資に置き換えたらどうなるか、よく聞く皮算用的な計算が繰り広げられます。

そしてそうした計算の結果、華美が出した結論は

今の1万円が、30年間寝かせておけば7倍以上になる。
30年後―62歳になった頃に、彼女との友情は続いているか?
未来の7万6123円と、続いているかわからない友人とのつながりの、どちらをとるか。

<結婚おめでとう!よかったね、我がことのように嬉しいよ~。
 そして本当に申し訳ないんだけど、その日出張が入っちゃってて……>

というように、お金を友情を天秤にかけてお金を取ったような、そんなエピソードから物語がはじまります。

 

これ以外にも、夜からの米国株市場でデイトレードをして勝ったり負けたり、自分の勤務先ではなく米国本社の株を買ってみたりと、投資に軸足を置いた生活や思考を持っていることが描かれます。

一方で後半は「怪しいサロンにのめりこむ彼氏の救出劇」

ここからどんな感じに物語が展開していくのかと思っていましたが、主要な登場人物のもう一方である彼氏の直幸が、いわゆるサロンにのめりこんでいく様子が描かれます。

貯蓄や投資など、お金を温存することを大事にしている華美に対し、彼氏の直幸はその真逆に近い、お金は使ってこそ価値があるという考えの持ち主。
決して高くない年収でありながらも、GT-Rに乗っており、モノ・コトに消費していることが伺えます。

こうした考えに大きな影響を与えていたのが月額5980円の会員制サロン。細かい描写は割愛しますが、会員制により閉鎖的なコミュニティを形成し、その外側を「時代の変化に適応できない旧態依然とした外の世界」と呼んだりするなど、随所にやばめの雰囲気が描かれます。

最終的に、仕事を休職した直幸がサロンが建設する新しいムラに移住し、音信不通となったところを華美が救出しにいくというストーリーになっており、その過程でサロンというかもはや新興宗教のそれとも言うような、閉鎖コミュニティ内部での洗脳行為が明らかになっていきます。
冒頭のところではそれなりに親近感を感じていただけに、正直、すごいストーリー展開だなと感心しました。

結局のところ、何を描いていたのか?

最終的に、直幸を助け出し、サロンの異常性が明るみに出て崩壊し、普通の生活に戻ったところで物語は一段落します。

いくつか現実的に共感できるところがあったり、それでいて急ハンドルで縁遠く感じられるストーリー展開がある中で、結局のところ、何を描いていたのか?という疑問に駆られ、それを整理したくてこの記事を書き始めました。

FIREへの願望

まず分かりやすいのは主人公華美が明確に写している、FIREへの願望・憧れです。

華美には目標がある。5000万円だ。
配当株十数銘柄へ分散されたそれだけの金融資産があれば、年利5%で運用しただけで、250万円の配当収入を毎年得られる。働かないでも、会社からの今の年収とほぼ同額を得られるわけだ。
(略)
システムの秘める可能性は、無限大だ。早く完成させるため、次の決算と配当が待ち遠しく、早く時間が経過してほしい。

物語の序盤では、親会社の都合でリストラが発生するなど、外部の都合に右往左往するようなところにストレスを受けているような描写もありました。
このあたりは現実にFIREを求める人たちと同様に、経済的自立と早期リタイアによる自由を望む、世相を映した主人公設定であると言えます。

インフルエンサーへの傾倒

もう一方で対照的に描かれるのが直幸の存在で、それが華美の貯蓄・投資と正反対の消費型を良しとする考えであったり、自らの考えを大事にする華美に対して、サロンの言葉にのめりこんでしまう直幸の姿に表れているように思います。

今回のストーリーは最終的にサロンオーナーの逮捕とか、ともすれば洗脳などを伴う集団犯罪の可能性すらあったところに行きつきますが、入り口はよくあるインフルエンサーへの傾倒です。

別にインフルエンサーを悪く言うつもりはないのですが、何か自分に衝撃を与えた体験を起点に、それ以降の全てを疑いなく信じてしまうようなあり方は、大なり小なり、作者が描写したかったものなのでしょう。

「貧乏くさい」

では自分で考えを持ち、消費を律する華美が正しいのかというとそんなことはなく、物語の序盤で既に、ひょんなことで出会った億り人と思しきおじさんたちとの会話を通じて、

やがて三人は華美に対し、働かないで配当生活を送るための投資の心得や節約術について語りだした。華美はなぜかしら彼らから目を離すことができず、相づちをうちながら聞く。経済情報に限らず、知性を研ぎ澄ませたければ大型書店やインターネット通販サイトでめぼしい本の書名と作者名をメモに記し、後日図書館で借りて読むことで書籍代を浮かし、食事は徹底的に自炊を貫く。やむをえず外食する場合も株主優待券が使える店に絞り、それはカラオケやボーリング、映画館といったあらゆる商業施設でも同じだということ。

貧乏くさい。

そう感じた華美だったが、三人それぞれの金融資産が一億円を超えていると聞いて、驚いた。

家賃4万2000円、と誰かが口にしたとき、華美の頭に県営住宅の光景が浮かんだ。テレビで見た、古く狭い部屋だ。たしか、夜のニュース番組で扱われていた、生活保護費受給特集で見たのだ。モザイクがかけられ声も変えられていた画面の中の受給者たちの生活と、ここにいる配当生活者たちの生活様式が、ぴたりと重ね合わさる。

華美は愕然とした。

という感覚を抱くエピソードがあります。

自分が今目指しているのはの億り人たちであるはずなのに、「貧乏くさい」と、誰に言われるでもなく、ただ率直に思ってしまうこのシーンはかなり印象的でした。

とはいえ、他にどんな生き方ができるのだろうか

このように、節約と貯蓄・投資生活の先に疑念を抱いた華美であるものの、とはいえ他の生き方に変えることもまた難しいことであるとも自覚します。

つまりは若いうちに大金を手にして、人生を謳歌しなければなんの意味もないということになるが、たとえ今大金を手にしたとしても、華美は自分が豪遊などせず優良配当銘柄の株を買っている姿しか思い描けなかった。資産を複利で増やした10年後には、そのさらに10年後の複利効果を考えている気がする。

人生を謳歌すること、それは直幸が良しとした考えではあるものの、それはそれで同意できなかったわけですから、自分の道も、直幸の道も、どちらにも明るさだけを感じることができないというのが、この小説の核心でもあるのでしょう。

改めて、 "Phantom" とはなんなのか

ここまでで、世相を映した主要な登場人物の生き方と、その先にある問題点のようなものを見て、それがこの小説のコンセプトなのかもしれないと考えました。

そうしたとき、改めてそんなストーリーやコンセプトを持つこの物語に「Phantom」と名付けたのはなぜなのでしょうか。

 

ちなみに、作中には「Phantom」という英単語こそ出ないものの、「ファントム」という言葉は一度だけ出てきます。華美と直幸が見ていたニュースでとある交通事故が取り上げられますが、その場面で

「さすがロールスロイスは頑丈だな。軽じゃひとたまりもない」

「そうなの?」

「あれはファントムだから、5000万以上はするよ。金持ちが死にたくなくて買うあんな頑丈な車にぶつけられたら、燃費第一で軽量化してアソビもない100万円の軽自動車は、ぺしゃんこになるよ」

という短いやりとりがあります。

この事故によって、頑丈なファントムに乗っていた老人は軽傷で済み、軽自動車に乗っていた若者は死亡したのですが、主人公の華美が軽自動車に乗っていること、老人を守ったファントムが華美の目標とする5000万円を上回る値段をつけていることと合わせて、なかなか象徴的なエピソードになっていました。

 

このエピソードを含めて、改めてこの小説における "Phantom" の意味を汲んでみると、

  • お金で老人の命を守った象徴としてのロールスロイス・ファントム
  • 自分の年収と同じ収入を生み出す分身としてのファントム
  • FIREを目指す生活の先に見えた哀れな幻影としてのファントム
  • 閉鎖的な世界で崇められる偶像としてのファントム

のような意味合いでしょうか。

誰しもが内なるファントムを持っていて、その良い側面を願って生きていたり、悪い側面に気づかない、あるいは気づかないフリをして各々が生きる姿を描いたのが、本作『Phantom』なのかなと、ここまでつらつら書いてみて思いました。

お金とは "シンライ" なのか

あと、最後の最後でやや皮肉めいたエピソードが出てきます。

物語の序盤から中盤にかけて直幸はサロンの教えに従い、お金ではなく他者への協力と貢献によって積み重なる "シンライ" が大事だという考えを持ち、華美はこれに違和感を感じていました。
このシンライの考えはサロンコミュニティを支える根幹であり、表面上は「こんなシンライ溢れる社会を作ろう!」というのが仲間を集める原動力にもなっていました。

その傍ら、物語の核心ではなかったものの、主人公の華美はかつての地下アイドル活動の延長として、コスプレの趣味を持っていることが描かれます。
その流れで、終盤のゴタゴタが一段落し、物語の締めに向かう中で、「月額でお金を取ってカメラマンに撮影される」話が出てきます。
きちんとした機材を揃えたカメラマンに写真を撮ってもらうことは本来お金を払うほうの話のように思いつつ、ここでは直幸がサロンに対して月額を払っていたように、華美が月額を受け取って撮影させる構図です。

華美自身も、お金を受け取って撮ってもらうということに困惑しつつ、次のようなやりとりで納得を得て、月額を貰う側となって物語が終了します。

華美が素直な疑問を口にしてみると、少し間を置いてからカメラマンが答えた。

「高性能カメラを買ったら、ある程度綺麗な写真なんて誰でも撮れるんですよね。ちょっとライティングを工夫してシャッターをきって現像したら誰でも綺麗な写真を撮れちゃうから、ハードディスクにデータを保存するだけだと、虚しさ感じちゃうんですよ。自尊心を満たすには人から認められるしかなくて、プロになるのが一番いいんだけど、プロとして注文を受けるのはやっぱ難しいから、お金を払ってでもモデルさんの写真集づくりに貢献したい、ってなるんですよ」

「そうなんですね……。まあ、そういう人たちの夢を叶えてあげるのは、悪いことではないですけど」

「そうだよ紫柚ちゃん(注:華美の活動名)。ただ、誰でもウェルカムにするとクソみたいな変人とかも寄って来ちゃうから、本気度をはかるフィルタリングとしてお金をとるのは、私たちにとって最低限度の安全策だと思うんだよね」

ここで華美が受け取ることになる月額はある種、相互の活動を結びつける "信頼" を担保するためのお金でもあるわけですが、そこに直幸が支払っていた月額とどんな違いがあるでしょうか。

そして、他人に貢献したいとするカメラマンの思いがあり、その上で「お金を取って自分の活動に協力させる」ようなこの月額には、かつて華美が否定をしていた "シンライ" と、どのような違いがあるのでしょうか。

なかなか、皮肉めいた終わりだなぁ、と不思議な感覚で本を閉じました。

 

不思議な読み味だった

冒頭にも書いた通り、読み終わってみて感じたのは、なんだか不思議な感じでした。

現実に立脚するように、そして特段特異な設定も盛り込まないようにして構成されたストーリーとしては、あまり面白いものとは言えませんでした。
終盤のムラへ乗り込んでいくシーンなどは、なんとなく百年法での拒否者ムラを彷彿とさせましたが、展開自体には驚きもなく、ただただ流れていった感じがしました。

しかしこうやって長々と感想を書いているように、結構考えることが多く、これはこれで満足感の残る読み味だと感じています。
ノンフィクションのようでいてフィクションであり、フィクションのようでいてノンフィクションであるようなこのストーリーが、結構色々なイメージを与えてくれたので個人的には嬉しい薬になったような感覚です。

なんというか、エンターテインメントとして読んで終わりにするのであればオススメできない小説でしたが、「お金と生き方」みたいなテーマに興味を持てる人なら、結構面白く読めるような気がしました。興味を持った人はぜひどうぞ。

 

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