たくなくの雑記帳

思ったことを書き留める雑記帳

慣れることと、抗うこと

ふと頭に浮かんだので書き残し。

ふと見かけたWebマンガたち

まずはこちらをご覧ください。

テレポート革命 - 西村野道

はてブホッテントリに入ってた少年ジャンプ+Webマンガ。よかった。

Dear XXXX - 西村野道

そしてブコメから辿った同じ作者の別作品。よかった。

 

慣れることと、抗うこと

で、このどちらも面白くて好きだなーと思ったんですが、その根底にあるのが「慣れることと、抗うこと」のバランス感なのかなって思いました。多分作者もそのバランス感を描くポイントに思ってそう。

 

(一応ここから各マンガのネタバレをやんわり含むので読んでない人はご注意ください)

テレポート革命のところ

テレポート革命、タイトルこそ超能力みたいな飛び道具を冠してますが、物語の主旨としては

  • 主人公が超能力の扱いに慣れること、抗おうとしないこと
  • ヒロイン(?)が生い立ちに起因する扱いに慣れること、抗おうとしないこと

が象徴的に描かれており、最終的には主人公がヒロインを助ける形で抗っていく様子が描かれる、みたいな感じでした。

主人公もヒロインも、慣れることの観点は似通っていて「事実と違っていたとしても、そういうもの」というような達観した諦めを自分に向けていました。
その一方で、主人公はヒロインのそういう諦めが "嫌" で助ける、という。

Dear XXXX

続いて、Dear XXXXのほうに目を向けると、こちらのタイトルは最後になって意味が分かるものではありますが、

  • 主人公が執筆の扱いに慣れること、抗おうとしなかったこと
  • サブ主人公がオーガ族の扱いに慣れること、抗おうとしないこと

というような構図を持っていました。
で、こっちは最終的にサブ主人公が主人公のために怒るという形で、抗う精神的な手助けをします。

サブ主人公は主人公が単に執筆でバカにされたところを見たから怒ったわけではなく、その先にある「抗おうとせず執筆をやめてしまう/嫌いになってしまう」ということが "嫌" で怒ったという考えが追想として補足されていました。

共通する構図

いずれにも共通していたと思ったのが、

何かしらに慣れた側面を持つキャラクターが、もう1人の慣れに対して抗う

という描き方でした。

お互い、「慣れることが一番いい」と思っていたにも関わらず、相手のそういう点をもったいなく思い、代わりに抗う/抗うきっかけを作るというのが印象的です。

確かに他人から見るともったいなく思うのはありますが、当人からすればそう思っても仕方ない体験の上でその慣れが作られているわけなので、むやみに抗うのがいいかと言われるとそういうものでもありません。
なのでこれはバランス感とか関係性の話なんですが、このバランス感の描き方について、この作者はとても巧妙なところを突いているなぁ、と思いました。

そういえばこんな話、どっかで見たな

というように、「慣れることと、抗うこと」というコンセプトに思いを馳せたとき、ふと思い出したフレーズがありました。

映画:インターステラー

それが2014年に公開されたクリストファー・ノーランSF映画作品『インターステラー』で、作中に理論物理学の大家であるブラント教授が象徴的に反復していたフレーズでした。

Do not go gentle into that good night; Old age should burn and rave at close of day. Rage, rage against the dying of the light.

(穏やかな夜に身を任せるな。老いた魂を燃やし、終わりゆく日に怒りをたぎらせろ。怒れ。怒れ。消えゆく光に。)

物語の背景としては、荒廃した地球環境を前に、移住可能な宇宙探査計画を立て、そのリーダー的存在になっているブラント教授が、「希望を失うな」と自らに、あるいは周囲に言い聞かせるようなフレーズです。

詩人:ディラン・トマス

これ自体は20世紀の詩人、ディラン・トマスの著作のようで、元々は父の死に際して読んだ詩のようです。穏やかに死んでいく父を見て、思うことがあったのかなと想起されました。

作中でも象徴的な扱いであったため、同じように興味を持った方も多い気がします。

作中でのシーンの切り抜きも都合よくありました。ノーラン作品おなじみ、マイケル・ケインの読み上げもいいですね...。沁みる。

老いた魂を燃やし、怒りをたぎらせろ

このフレーズで言うところの「終わりゆく日に怒りをたぎらせろ」あたりが、まさに今回の「慣れることと、抗うこと」と同じような世界観なのかな、と頭に浮かびました。

怒りをたぎらせるとか、抗うとか、自分が気に食わないもの全てにそんな思いを抱くのはいかがなものかと思いますが、ただその逆で、全てのものに慣れて諦めの思いを抱くのもまた違うわけです。

自分の諦めにもっと抗う/怒るべき

僕自身としては、どちらかといえば明らかに慣れるタイプで、事なかれ主義的にふるまうことが多い自覚があるので、ここで言うところの "嫌" という思いとか、 "怒り" を行動で発露することも考えたほうがいいのかなと、そんな風に思いました。

バランスの話であるとも言いますが、少なくとも自分にとっては「自分の諦めにもっと抗う/怒るべき」ということなのかもしれません。嫌だと思ったりすることも重要なバイタリティですしね。

諦念(レジグナチオン)

こういう「諦め」という言葉を思うとき、高校倫理で習った森鷗外諦念(レジグナチオン)という考えが頭をよぎります。ドイツ語のレジグナチオンとセットで頭に残りやすかったのかも。

高校倫理で知った当時から、結構この考えは好きで、「無理に抗わずにその場でこそよく生きることを目指す」というものです。

ほとんど自分自身こういう考え方だなと思うところもありますが、今回のことを通じて「安易に諦めに走ったりはしていないか?」ということを少し案じました。

思えば老子の「無為自然」なんかも結構頭に残ってる考え方なので、基本的には「まずは現実を受け入れる」っていう態度から始まる考えが好きなんでしょうね。自分がそういう思考であり、志向であることは否定しませんが、その弊害みたいなものには注意したいなという感じがします。

 

またインターステラー見ようかな

なんとなくネットサーフィンしてWebマンガ読んでただけですが、思いがけずこんな思考の海に迷い込みました。

YouTubeで詩の読み上げに触れ、改めてあの映画の雰囲気を思い出しましたが、ちょうど休みだしまた見てみようかななんて思いました。見てない人で、SFが好きな人ははぜひ見てください。オススメ。

 

にほんブログ村 にほんブログ村へ
お読みいただきありがとうございました!
応援クリックよろしくおねがいします!