世界の解像度を上げるゲームさんぽ
「世界の解像度を上げる」っていうフレーズ、聞いたことありますか?
今日はそれを実感した話です。
世界の解像度を上げるとは
「世界の解像度を上げる」って話は、このあたりを見てもらうとわかります。
というように、Google検索で「世界 解像度」なんて調べるとこういう話がよくヒットします。
概ね、切り口はどうあれ「知識は世界の解像度を上げる」というような主旨になっています。知っていることが多いほど、世界から受け取る情報、世界から感じることが多くなるという話ですね。
ワクワクしながら生きていたい
少し大げさな話になりますが、僕はとにかく長生きしたいです。それも心を健康に、ワクワクし続けていたい。
体の健康はある程度仕方ないでしょう。動物であればこそ、腰は曲がるし、筋力は無くなっていく。それはそれです。
ただ、心の健康は別です。
たまに、年をとっても、仕事を形式上リタイアしてもなお、何かに情熱を燃やし続けている人の話を目にしますが、こういう人たちに憧れます。
はじめに申し上げておきますと、年を取ってもゲームを続けるのは最高です。若いうちは忙しくて、なかなかゲームをプレイする時間がとれないかもしれませんが、早めに始めておくと年を取ってからでも全然問題なくプレイできるはず。とにかく、若いうちからゲームはやっておきなさいというのが私の一番のアドバイスです。おしゃれやスポーツが趣味だと、続かなくなるときが来るんですね。でも、ゲームは気楽だからいい。
(略)
ゲームをプレイしようと思うと、機器の使い方やゲームの内容そのものを勉強しますし、メモをとるようになったことも良かったと思っています。普通に年を取るとそういうことやらなくなりますから。あと、耳が遠くなってもゲームはできますよ。何も心配することはありません。
Dudley さんは、「私は、死ぬまでこの仕事を続ける」と述べ、その理由を次のように説明した。
「家でじっと座っているなんて、退屈だ。私は酒も飲まないし、家内は私が庭いじりをすることを許してくれない。庭のことは、家内が全部やっているからだ。
家で4日間休んだあと、仕事に行くのを本当に楽しみにしている。私は人々と会って話をするのが好きだからだ。それは、タクシーの仕事を好きだった理由でもある」
こういう人になりたい。
何気なく撮った一枚が笑顔で、それも「笑顔がしっくりくる人」っていうのもいいですよね。僕個人としては見た目に感情の起伏がわかりにくいと言われがちなタイプなので、そういう面でも憧れの気持ちがあります。
ちょっと話がそれましたが、要するにこういうワクワクしながら送る人生のカギのひとつに、世界の解像度があるんじゃないかと思っているんです。
色々なことに気付き、興味を持ち、それを楽しく受け入れるられるような心のあり方が。
ゲームさんぽ
そういった「世界の解像度」への望みがある中で、最近とてもいいコンテンツを発見しました。
ゲームしながらしゃべるコンテンツという意味ではゲーム実況に近いですが、主旨は「ゲーム内容の専門家を招いてトークを楽しむ」っていうことにあります。
これを見ていると、露骨に「世界の解像度が違うってこういうことなんだ」ってのを感じることができるので、楽しく見ています。元々はいちYouTuberが考案した企画ですが、いまはライブドアニュースも参加していろいろなゲームさんぽが生まれています。
そんなゲームさんぽから、特に解像度を感じるものをいくつか紹介します。
土木デザインのプロと行く ゲームさんぽ:The Crew 2
例えばこれはレースゲームに登場する建物を題材に、建築の専門家に話を聞くというものです。
何気なく目にする建造物にも物理的合理性があるという話とか、その時代背景を受けた成り立ちがあるとか、そんなことを気づかされます。
植物学者と行く ゲームさんぽ:MHW IB
こちらはモンハンアイスボーンを題材に、フィールドの植物に思いを馳せます。
「植物は行動範囲の広い鳥に種を運んでもらいたいが、動物は行動範囲が狭くてあまり嬉しくない。」とかそういう話を踏まえて、鳥が見つけやすい黄色や赤の実をつけることや、動物が避ける辛さを実に持っていたり...ということはなるほどと思いました。
「植物を見れば、そこがどんな土地で、どんな営みの中にあるのかわかる」っていうのはまさに世界の解像度だなって思いますね。
美術館学芸員と行く ゲームさんぽ:あつまれ どうぶつの森
これをたまたま見つけたのがこのゲームさんぽシリーズとの出会いでした。
基本的に美術には疎いタイプだったので、目から鱗の思いの連続でしたね。
ルネサンスの3巨匠がいて、名前くらいは知っていましたが、そのうち2人しかいないことの "違和感" を強く言えるのも世界の解像度ですよね~。間違い探しというか。
ちなみに、動画中で何度か「なぜこれがあって、あれがないのか」っていう話がありますが、後々視聴者指摘で「宗教作品を意図的に除いているのではないか」という話も出てきます。
確かに宗教は世界的にはセンシティブな話ですし、全世界でのセールスを狙ったあつ森が気にしていてもおかしくない考えですね。
世界を拒まない
上に挙げた動画はもちろん、このゲームさんぽがいいなと思うのは、招かれる専門家の人たちが題材となるゲームの世界を拒まないことです。
ゲームの中で展開される世界は、所詮ゲームの世界なので、現実の知識体系からすればバカバカしく映る面も当然あろうと思います。
なので、そういうものを見るにつけて「こんなことはあり得ないから考えても無駄」っていうような態度を取ることも、それはそれで合理的ではあります。
ですが、このシリーズに出る人は企画主旨を理解して出演していることもあり、そういった態度を持たず、「仮にそうだとしたら、ここはどんな世界か?」ということに興味を持って自分の知識を惜しみなく引き出してくれます。その姿勢が僕はたまらなく好きだと思いました。
歩荷の人と行く ゲームさんぽ:DEATH STRANDING
そういったことを強く感じたのが、この歩荷の人と行くデススト回。
歩荷というのはいわゆる「歩いて山を登り、荷運びする人」のことです。
大規模であればヘリで荷運びしたりするんでしょうが、日常的な荷運びはどうしてもこういった人たちの力を借りざるを得ません。
こういう人たちが山小屋の飲み物やらなんやらを運んでいると思うと、 "山小屋価格" にも納得がいきます...。(高いと思っててすみませんでした...)
この途中、ゲーム内の荷運びロボットが出てきたとき(part 3, 28:28~)に、歩荷の秋本さんがその非現実的な存在に対して
「ロボどうでしたか?今の見て」
「応援したくなりましたね」
「歩荷をするものっていう、もう仲間ですよね」
という反応をすることとか、ほぼ下半身しかないようなその造形に対して、
「理想の歩荷体型を求めた結果、上半身無くなっちゃったのかもしれないっすw」
「僕、自分で歩荷を追い求めてたらああいう体型になるのかもしれない」
「追求したらそうなるのか...」
って感慨深く言っているのがとても印象深かったです。
この「追求したらそうなる」っていう発想はやはり世界を拒まないことからくるんだろうなぁ、って思います。
世界の解像度を上げよう
じゃあ自分自身、世界の解像度を上げるにはどうしていけばいいかということについては、この内容が参考になりました。
そこで大事にしたいのが「自分が読みたいものを書く」というスタンス。クラシコムの青木さんが以前どこかで言っていたその言葉を覚えているんですが、本当にそうだなと。自分だったら、物を買うときにどんなポイントで探しているかな、とかふとした決め手みたいなものをメモしておいて、書くときにはその点を踏まえて書く。そういう自分という相手を想像しながら書くと、ニッチかもしれないけど結構喜ばれる気がします。
格好いいこと書きたいのはやまやまだけど、それができるようになるにはハードルが高いので、淡々と世界を見つめる解像度を上げていく練習をすることが大事だと思います。まずは、回数を増やして発信に対するハードルを下げること。これは会社のオウンドメディアや個人のブログであっても同じだと思います。
自分が読みたいと直感するものを書くことは、2つメリットがありそうです。
- 自分の解像度がどこにあるか、どれくらいあるかを意識できる
- 「書く」ために今の解像度を少し背伸びして注意深く見ることになる
実際、僕もこうやってブログを書くときにネタ帳みたいなメモをちまちま書いているんですが、そのネタの羅列を見ると普段の生活の中で自分がどこに興味を持っているのか知ることができます。
そして、そこからネタをピックアップして、今回であれば「ゲームさんぽ」というネタを書く場合に、
- どうして「ゲームさんぽ」に心惹かれているのだろう
- → 世界の解像度が高い人たちのワクワクさを含む話が好きで、憧れがある
- → そういうワクワクを持って長生きしたいと思っている
というようなことを自分でも理解したので、書いてよかったなぁと思っているところです。
次はどんなことの解像度を高めようかな。ではまた。
お読みいただきありがとうございました!
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