たくなくの雑記帳

思ったことを書き留める雑記帳

親とあと何日会えるか数えてみよう

久しぶりのただの雑記です。
余命○年とかそういう深刻な話じゃないですが思いついたので。

これまで何日親と会ってきたか

この前ふと、「親とあと何日会えるんだろう」と気になって、これまでのことも含めて概算的に数えることをやってました。

一人暮らしまで(~18歳)

懐かしき日々のイメージ

僕は大学生から一人暮らしを始めてるのでそれまでは実家に住んでいたわけですが、実家に住んでいると外泊なんかはありつつまあ年間360日くらいは親と顔合わせていたと思います。

なのでこの期間で360日×18年=6480日。ワオ。

大学卒業まで(~24歳)

なんか楽しくやってそうなイメージ

学生としての一人暮らしは大学院まで含めて6年間でしたが、一人暮らしになったことで多分年間10日程度に激減してる気がします。

というわけでこちらの期間は10日×6年=60日。

社会人から(25歳~)

奥さんと出会ってそうなイメージ

ここから社会人になっての期間ですが、仕事との兼ね合いなどもありおそらく学生時代よりさらに減っています。年間5日くらいでしょうか。

先日めでたく35歳になったのでそこまでの11年間だとすると5日×11年=55日。

ちなみにここから奥さんと年間360日ペースで徳を積んでいくことになるので追い上げの日々が始まります。

これまでの合計

というわけでこれまでの35年間でどれくらい親と会ってきたかというと、

 

6480 + 60 + 55 = 6595日

 

って感じになりそうでした。これまで生きてきた35年間は12800日くらいなので今の時点ではギリギリ50%ある感じでした。

 

これからあと何日くらい会えるのだろう

ここまでくると大体の雰囲気は掴めてると思いますが、一応計算してみましょう。

これから(35歳~)

こっちにも子どもが生まれてそうなイメージ

これからも引き続き社会人であることは変わらないので、年間5日ペースでこれからも続いていくと思われます。

65歳(今の想定)で仕事を退職したらまた違う気がするので一旦そこまでのペースだとすると5日×30年=150日。

また、ここで登場する自分の子どもと会える日を年間360日で消費していく側にも回ります。

リタイア後(65歳~)

なんか晩年を迎えてそうなイメージ

あとはリタイア後ですが、ここまでくると親が90歳を越えているのでそもそも会えない状態になりそうです。余命宣告されていれば意識的に会いに行きもするでしょうが、ある日突然亡くなる系だとなんともいえません。

まあざっくりと5日×5年=25日だとしてみましょう。

この辺りまでくると自分の子どもも自立しているでしょうから、95%消費している時期になっています。明日は我が身。

これから会える日数の合計

というわけで簡単な計算によるとこれから会える日数の合計は

 

150 + 25 = 175日

 

ということがわかりました。

会える日数の消費率

で、ここから既に会ってしまっている6595日と合わせて考えると、なんと既に97.5%ほどを消費してしまっていることがわかります。特にこれは社会人初めて10年経ったからとかではなく、実家を出た時点で既に95.7%も消費し終えていたということによります。

おそらく90年くらい生きる人生のうち、最初の18年で親と会える日の95%以上を使ってしまっているというのはなんとも驚きがあります。(もちろん実家で同居する人はこの限りではないです)

かといってどうすることもない

じゃあ残り2.5%ほど、日数にして175日程度ということになりますが、この残り少ない日数をどうしようかということになりますが、まあ割とどうしようもないですよね。

会う日だけに着目すれば残り2.5%というのはそうですが、実際には電話したり日々のLINEやらテキストコミュニケーションなどもあるわけなので、本当に2.5%かというとそうでもないわけなので。

ただ、やっぱりこの計算をして、会う日そのものは貴重なことに間違いはないので、自然体で接していきつつも、実際に会える日のことは大事にしていきたいなと思います。

奥さんと会える日の消費率

奥さんと時間をともにしてそうなイメージ

似たような考えで、奥さんと会える日と消費率なんかを考えてみましょう。

年間360日会えるとして、こちらはどちらかが先に死ぬまで会い続けられるのでかなり息が長いです。

奥さんと出会って同棲始めたのが6年前で、希望的に見て90歳までなんとかなるということにすると、360日×61年=21960日。すごい。

対してこれまで会っているのは6年分なので、消費率はなんとまだ1.7%です。

子どもと会える日の消費率

自分の子どもと過ごしてそうなイメージ

あとは子どもとしての自分と同様に、親としての自分で考えてみるとこちらのほうがまだこれからの行動を考える余地がありそうです。

自分で計算してきたように、大学生から一人暮らしをするとすれば生涯で7000日くらいしか会えないわけなので、生まれてからの1年1年で毎年5%ずつ消費していく感じになります。

1年で5%減っていく何か」があったとき、それをどう感じるかは人それぞれですが、やっぱり人生100年とか意識する中では印象よりも早いスピード感だなぁと思いますね。

 

一人暮らしにいくとき、親はどう思っていたんだろう

こういう話をふと思い立って奥さんとしてたんですが、一人暮らしに出ていくとき親がなんて思ってたんだろうなと思うと、自分の親ながらなんとも言えない気持ちになりました。

一人暮らしになる直前、高校生のときは毎日お弁当生活だったので、これを作るお母さんは面倒だろうなぁと思っていたんですが、言ってみれば18年のうちの3年に過ぎないことで、そして毎日顔を合わせるフェーズのラストスパートみたいなタイミングだったわけです。

自分では「3年間の最後のお弁当かー」みたいな気持ちにしかなっておらず、特にメニューも覚えてなかったんですが、最後のお弁当をどんな気持ちで持たせてくれたんだろうなと少し思いました。(残さず食べたとは思う)

そしてそのラストスパートを終えたあとに子どもは意気揚々と一人暮らしに向かって出ていくわけなので、親と子ですごく非対称な気持ちを持ってたんじゃないかと思うと、なんだか申し訳ない気持ちがあります。

そういうことを思うといつも古代中国の詩人、白居易の「燕詩」を思い出します。
これは巣立ちしていく燕を見て詠まれたと言われていますが、

燕燕爾勿悲 爾当返自思
思爾為雛日 高飛背母時
当時父母念 今日爾当知

(燕よ燕、そなた悲しむことはない。そなた自身を思い返してみるがよい。)
(そなたが幼い雛であった日のこと、母に背を向け高く飛び去っていったことを。)
(その日の父母の思いを、そなたは今まさに知ったのだ。)

という、「親の心子知らず」のような思いは大昔から変わらないんだなと改めて思いました。

次は自分が燕になる番だなーということと、いい燕になりたいと思う今日この頃。

 

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