2050年の世界ってどんなのだろう④:ムーンショット型目標でみる2050年
第4弾まできました。前回はこちら。
今回は「どういう世界になっているか」という観点から、「2050年の実用化を目指しているテクノロジー」を探ってみます。
2050年ともなればなかなかの未来なので、いい夢が見られそうです。
ムーンショット目標(内閣府、2020年)
これまでも政府系のレポートをいくつか見てきました。よくあるパターンは「○○年後、こうなることが危惧されるからこのように手を打たなければいけない」というもので、見方によっては受動的に見えるもので、端的に言って「夢のない展望」とも言えるものでした。
じゃあ今回見ていくような、「夢のある展望」は政府から出てこないのかと言うとそうではなく、この領域にも当然それに当てはまるものがあります。
それがこの「ムーンショット目標」のことで、名前の由来は米ソの宇宙開発レースのように、「野心的かつ象徴的な目標を掲げ、その実現に向けて技術を強力に発展させる」というものです。内閣府の言葉を引用すると、
こうした背景の下、新たに創設するムーンショット型研究開発制度(以下「本制度」という。)は、我が国発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進することとし、
1. 未来社会を展望し、困難だが実現すれば大きなインパクトが期待される社会課題等を対象として、人々を魅了する野心的な目標(以下「ムーンショット目標」という。)及び構想を掲げ、最先端研究をリードするトップ研究者等の指揮の下、世界中から研究者の英知を結集し、目標の実現を目指すこと
2. また、基礎研究段階にある様々な知見やアイデアが驚異的なスピードで産業・社会に応用され、今日、様々な分野において破壊的なイノベーションが生み出されつつある状況に鑑み、我が国の基礎研究力を最大限に引き出す挑戦的研究開発を積極的に推進し、失敗も許容しながら革新的な研究成果を発掘・育成に導くこと
3. その際のマネジメントの方法についても、進化する世界の研究開発動向を常に意識しながら、関係する研究開発全体を俯瞰して体制や内容を柔軟に見直すことができる形に刷新するとともに、最先端の研究支援システムを構築すること。また、研究成果を円滑に社会実装する観点から、多様な人々との対話の場を設けるとともに、倫理的・法制度的・社会的課題について人文社会科学を含む様々な分野の研究者が参画できるような体制を構築すること。さらに、将来の事業化を見据え、オープン・クローズ戦略の徹底を図ること
等を旨とし、総合科学技術・イノベーション会議(以下「CSTI」という。)及び健康・医療戦略推進本部の下、関係府省が一体となって推進する。
と表現されています。
そんなムーンショット型目標ですが、昨年発表された具体的な目標は以下の7つでした。
目標7を除けば、全て2050年までの実現を目指すとありますので、実現可否はどうあれ、こうした2050年の世界を目指していきたい、と目標を掲げていることになります。
気になるところをもう少し見てみます。
目標1:2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から開放された社会を実現
各ムーンショット目標には、目標に向けた取り組みの責任者となるPD(Program Director)がいますが、目標1のPDが「大阪芸術大学 芸術学部 アートサイエンス学科 学科長・教授」だというのが面白いですね。
他の目標では、いかにもそれに向けたテクノロジーの大本命たる識者が就いていますが、芸術大学、それもアートサイエンスの教授というのはなかなか夢のあるチョイスです。
目標1が掲げる「人が身体、脳、空間、時間の制約から開放された社会」の実現に向けて中心的な役割を担うとされているのが、このサイバネティック・アバターです。
現在でも可能になりつつあるVR空間で動き回ることはもちろん、それをロボットで現実に投影できるようにすることで、様々な制約から開放されるというアイデアです。
サイバネティック・アバターによってこんな生活が可能になるとされていますが、まさに未来な感じがしますね。
こうなると「ドラえもん のび太とブリキの迷宮」で描かれたような、ロボットに全てを任せたがゆえに、筋肉が衰えて自分の意志ではどこへも行けない...みたいな世界も見えてきますが、そのあたりとの折り合いをどうつけるのかも気になります。
とはいえ、基本的には現在のAR/VRやロボット技術の発展を踏まえると、当然考えうる未来だと思いますので、ぜひそれを覗いてみたいものです。
ちなみに、PDは大阪芸大の教授でしたが、目標1の中で実行されるプロジェクトの中にアンドロイド研究で有名な阪大の石黒教授の名前が見えます。きっちり抑えてますね。
2021年現在のアンドロイド技術は今まさに "不気味の谷" にいると思いますが、2050年までにはすっかり人間と遜色ないレベルに達しているものと期待します。
その世界にこそ、この記事で石黒教授が問いかけている「人間ってなんだ?」の意味が問われてきますね。楽しみです。
目標7:2040年までに、主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現
唯一2050年じゃないムーンショット目標ですが、これは医療に関する目標です。
これまでも見てきたように、これからの日本は少子高齢化がひたすら進みつつも、基本的な医療技術の発展に伴い、さらなる長寿命化に向かいます。
しかし、長寿命であるとはいえ、足腰弱かったり、食欲がなかったり、果ては寝たきりだったりするだけでは社会的な負担は増すばかりです。だからこそ最近は単なる長寿命だけではなく、健康寿命という概念をもって、高齢者になっても活き活きと生きていける社会を目指そうとしています。
僕も長生きしたいとは思っていますが、晩年をベッドの中で過ごしたいとは思っていない(たとえサイバネティック・アバターが実用化されるとしても)ので、健康には気をつけていきたいし、それをテクノロジーが支援してくれるのはとてもよいと思います。
詳しい内容は割愛しますが、目標7の実現に向けては、
- 日常生活の中で自然と健康を高められる仕組み作り
- 必要なとき、速やかに医療サービスを受けられる仕組み作り
- 負荷の少ない治療・リハビリを支援する技術開発
の取り組みが進められるようです。
医療技術については、スパコン等によって創薬技術が飛躍的に進歩していることや、必ずしも対面医療だけではないリモート診療やリモート手術なんてところも視野に入ってきています。
こうした技術の発展とともに、「ただ死んでいないだけ」の長寿命化ではなく、「死ぬまで活きていられる」世界の実現を期待したいですね。
残りは次へ
あと2トピック書こうと思ってたんですが、もうすでに3000字くらいなのでここで一旦切ります。
前回までは危機感をベースとして「2050年はこんな大変なことになるだろう」みたいな話をしていましたが、やはりこういうテクノロジードリブンな考えで未来を見ていくのは楽しいですね。
2050年と聞くとずいぶん未来の話のように思えますが、逆にみれば1990年にとっての2020年のことです。
僕が1988年生まれなのでほとんど生まれたばかりですが、その頃はパソコンも携帯もなく、スマホでホテルの予約をしたり、待ち合わせで会えずにLINEするなんてことも到底できない世界でした。稀に遺構のように残っていますが、伝言板なんてものはもはや「何に使われていたと思う?」っていうクイズになるレベルですね。
その頃に、「2020年になれば外でもすぐ連絡が取れるようになっているよ」と言われれば、それだけでも十分未来に感じられた内容なんだと思います。
もう30年経てば、僕も60歳を超えて、仕事をしているか、あるいはしていないかという年齢ですが、そもそもその想定が意味をなさなくなるような、いい意味での破壊的イノベーションが起こることを期待したいです。
お読みいただきありがとうございました!
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